ワクチンの三回目を終えて、追加の抗体が産生されたであろうけいこがやってきた。
息子には「今日保育園から帰ったらおばあちゃん来るよ」と予め伝えたら、「おばあちゃんっ」と元気に言い、その内容が伝わったようだった。 これまでおばあちゃんであるけいこにも全然懐かない息子だった。 まあでも特別おばあちゃんに懐かないということではなく、お母さんである私以外に心を許すのには誰であれ膨大な時間を要する子である。 日々一緒に暮らすお父さんでさえも。 しかし今回は驚いたことに自分からけいこの膝に入っていくなど、おばあちゃんに対してとても友好的な態度が見られた。 抱っこも、トイレも、おばあちゃんがやっても全く嫌がらない。 おばあちゃんの食べているごはんを自らもらいにいくなどもしていた。 それどころか、「お風呂誰と入る?」と聞くと、少しいたずらな顔で、「おばあちゃん!」と言う。 半分冗談、半分本気、そんな様子だった。 それならおばあちゃんと行こう!と私がけいこに視線をやると、やだやだむりむりと断られてしまった。 まあ気持ちは分からなくもない。 始めは良くてもいつ機嫌を損ねるか分からない子と二人きりで風呂に入るのは骨が折れるばかりだろう。 日々一緒に風呂に入っている親でも、風呂の所作は何かと気を使わねばならない点も多い。 それでも、半分冗談でも、「おばあちゃん!」と言えるようになった息子は何か心の変化があったのだろう。 思いあたる節としては、LINEのビデオ通話である。 最近スマホ見るたびにおばあちゃんに電話をかけるとせがみ、頻繁に顔を見ていたのでその存在に慣れていたのではないか。 ビデオ通話なんて、と思うが、それでも効果があるなら、例えばベビーシッターさんを久々に依頼する際には前日にビデオ通話で挨拶と少しのお話をしておくと多少は良いのかもしれない。 そろそろ、お母さんお母さんお母さん、お母さんしか絶対ダメ、という時期も終わりに来ているのかもしれない。 あんまりにも私しかダメというのは不都合が多く、本当に困りものではあるのだが、息子にとっての最優先最重要人物としての地位が徐々に脅かされていくのはそれはそれで少し惜しく寂しい気持ちが湧くものである。 息子には自立していってほしいと切に願っているが、一方で「私はもう必要ないのね」とひねくれる気持ちも隠せない。 とんだないものねだりは、母たる機微だろうか、それとも普遍的なものだろうか。 ところで、けいこの話でひとつ驚愕したことがあった。 けいこは、キッチンの引き出しの奥から出てきた10年以上賞味期限が切れた袋麺の出前一丁を食べようとしたらしい。 茹でて、粉末スープを入れて、臭いをかいで、器に盛って。 食べてみたところ、えもいわれぬ不味い味がしてほとんど捨てたと言う。 詳しく聞かなかったのだが、そのひと口は飲み込んだということなのだろうか。 確かに、賞味期限というのは消費期限と違って、期日が過ぎたとしても美味しさが落ちるだけで食べることは可能である。 納豆やヨーグルトやスナック菓子や缶詰などはどれも賞味期限記載である。 しかしながら、消費しなければいけない消費期限は書かれていないのが一般的だ。 かといって、10年以上賞味期限が切れたものを食べようとも思わないのが一般的なのではないか。 けいこの、食べてみたら食べられなかった、と我が身で毒見をするスタイルは昔から変わらない。 幼い頃、賞味期限切れのヨーグルトを捨てようとしたら止められて、自分の鼻と舌で確かめてダメならダメと判断しなさいと教わった気がする。 それにしても、袋麺は10年間という時間の中で、何がどう変化して、不味くなったのだろうか。 不味くなるとはどういうことなのだろうか。 袋は閉じられているが、少しずつ空気が入って酸化していくのだろうか。 「ピタゴラスイッチ」あたりの番組で、10年間の食品の変化を超早送りでもした映像を作ってもらいたい。 あ、でも、実際に見た目はほとんど変化していなかったのだろうから、味だけの変化は映像化できないか。 一緒に息子を保育園に送り、少し足を延ばして行ってみたかったレストランで昼食をとり、けいこは帰っていった。 レストランでのごはんは美味しかったのだが、全体的に油が多く、完全に胃もたれしている。 けいこも同じ感想を述べていた。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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