ふと息子を見ていると、この可愛い子は誰だろう、と思うことがある。
何でここにいるのだろう、と。 昨年まで無かった動く肉塊がぽんと目の前に現れて愛くるしい以上の愛くるしさでまとわりついてくる。 この可愛い子におそらく今現在は世界中の誰よりも最も好かれていて、その子のお世話をすることが他ならぬ私であることは、私の自尊心を一周以上まわって逆に揺るがしてしまうほどだ。 まあもちろん、多少の鬱陶しさも否定はしないが。 私の存在をほとんど四六時中欲しがり、膨大な量の無償の愛情を注がれると、私は自分のことを「必要不可欠な多大な価値のある人間」というちょっとした行き過ぎた解釈が思考でなく身体に染み込んでしまう。 それをいとも当然のように外に向けるのは極めて厚顔である。 しかしこんなに息子に溺惑する一方で、生まれたときから「血を分けた」という感じをさっぱり感じておらず、「親子」である認識があまりない。 法律上というか便宜上、人前では男の子なので「息子」という呼称を使っているに過ぎない。 何故だろうと思うのだが、はっきりとは分からない。 私はあまり「親子」とか「家族」という言葉を意図的に、もう既に無意識的に使わない。 「親子愛」や「家族愛」、はもっと使わない。 それはそれらを否定しているということではなく、そういうものが絶対に存在する、しないはずがない、当然ながら愛し合っている、そんな言わずもがなの暗黙の風潮が嫌だからである。 親子愛や家族愛は、多くの場合、生まれて幼少期から青年期くらいまで一緒に過ごす時間が圧倒的に多いから、他の人よりもそういったものが生まれやすいだろうとは思う。 私は現在においてその方面で特段悩んでいることは無いのだが、何かまだブロックしていることでもあるのだろうか。 生まれるという偶然性や必然性を、“不思議”という言葉で一旦括って、不思議と目の前にいるこの子のことをまた連続的にお世話し続けるのである。 世話に要らなくなるとき、私はどう思うのだろうか。 さてまた区の乳児健診があり、今回は前回と比べて勇んで小児科に向かった。 と言うのも、離乳食もまあまあ食べるようになったし、うんちも硬めではあるが1日3、4回出るし、はいはいも高速化してきたし、つかまり立ちや小さなものを掴むなど成長が著しく思われるからである。 しかし結果は「カウプ指数」という成長の指標上、前回とあまり変わっておらず、つまりはカロリーや栄養が不足しているということだった。 今回は行ける!と自信を持って挑んだ県大会の予選に、町の予選第一回戦で敗れたような気持ちになって思わず涙がこぼれそうになった。 あんなに頑張って日夜進んできたのに。 その他動作などの面には問題ないらしいが、水分、鉄分、タンパク質、そして総合的なカロリーを上げてくださいとのこと。 フォローアップミルクを飲ませるのが一番良いということだったが、哺乳瓶も嫌がればおそらく息子は粉ミルクの味が好きではない。 小児科からの帰りがけ薬局に寄って、飲まないだろうなと思いつつ、私の心は予選を勝ち抜いて一日がかりになるだろう試合の準備を一切汚すことなく持ち帰ってくるようなやるせない灰色の気持ちで一杯だったので、何とフォローアップミルクの大缶を買ってしまう。 ううう、と唇を噛み締めながら、重たい袋をベビーカーにぶら下げて、散歩もせずにまっすぐ家に戻った。 ちなみに飲またくなって戸棚の上にしまい込まれた初期用のミルクも沢山残っている。 仕事中の夫に泣き言をLINEで送り付けて、夫はそれなりに返信をくれるのだが、やっぱりこういうときは孤独に思う。 粉ミルクでプリンを作ってみよう、カロリーをざっくり計ってみよう、と夫は建設的で現実的な提案を次々としてくれるのだが、私の孤独はそれでは収まらず、かえってしょんぼりとするか少しの怒りが沸いてきてしまう。 それは、私の頑張り、を褒めて欲しかったし感謝されたいというのはあまりにも幼い話かもしれないが、たぶんそういうことだ。 最も優先されるべきは「息子の健やかな成長」であることが、私たち親の共通事項であることは理解しているのだが、今の私のメインライフワークについて私を評価して欲しいのである。 がしかし、少なくとも数値上は結果が伴っていないのだから評価などされなくて当然とも言えるが。 しかも、当の息子の気持ちも置き去りになっている。 帰宅した早速夫は粉ミルクプリンを作ってくれた。 言うだけでなく、実際に行動してくれるのは夫の頼もしいところである。 普段のごはん作りはほとんど私の担当だが、お菓子は夫の担当にいつからかなっている。 夫はお菓子作りが得意かと言われれば特にそうではなく、粉ミルクプリンを電子レンジで加熱するのに失敗して沸騰させ、レンジごと掃除する羽目になったのはかえってありがたかった。 私はいつものどろどろを作るついでに、さつまいもとじゃがいもと小麦粉と粉ミルクを混ぜたおやきを作ってみる。 時期的にはとうに手づかみで柔らかい固形物を食べても良い頃である。 他にも豆腐もさいの目に切ったものや、まぐろを湯どうししてみじん切りにしたものもメニューに加えてみる。 息子は何でも新しいものには興味があるので、いつもの食事に新鮮な風が吹いたような面持ちで少しずつそれらを食べていた。 しかし粉ミルクに砂糖も入って甘いプリンはそんなに進みが良くない。 粉ミルクの風味が強いのが好みではなさそうな雰囲気である。 粉ミルク入りおやきも食べはするものの、量が少ないので摂らせたい粉ミルクがどれだけ摂れていることやら。 しかし確かに、医者から注意でもされなければこうして新たなステップに進むきっかけも掴みづらかっただろうから、良い機会にはなった。 ゆっくりでも元気で成長していれば何の問題もない、そんな言葉に励まされながら、その言葉では励まされきれない部分はまた逐一試行錯誤やっていくしかない。 外は雨模様だけれど、息子は私の上でぽかぽか朝寝をしている。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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