使っている筆入れ、といっても商売道具のペンや筆ペンなどが一式入っている大きな化粧ポーチのようなもの、が壊れてしまった。
チャックを開けても閉めても、チャックが開いてしまう。 財布のように、スマートフォンのカバーのように、仕事用のバッグのように、こういったものすごく身近な物を選ぶとき、本当によく選んで買うようになったのはここ最近のことだ。 ネットでウィンドウショッピングをしつつ、デパートに出向き、雑貨屋に出向き。 財布もスマホカバーもバッグも、かれこれ3か月間ほどをかけて歩き回って探してきた。 しかしながら今回の筆入れの故障は、もう既にチャックは締まらないわけで、カバンの中でペンやら筆ペンやら定規やらがげろげろっと出てしまうので、日常に支障を来している。 それでも昨日2時間ほどデパートをくまなく探しても、ピンと来るものはなかった。 そもそも、筆ペンが入るほどの長さがあって、20本くらいのペンが入って、まちが少なく平らな筆入れ、などないのだ。 別に筆入れでなくてもそういった物が入れば問題はないわけだけれど、名前が付いていないものを探して買うのは骨が折れる。 タブレット用のケースでも良いかなと思ったけれど、緩衝材が無駄で嵩張るかなと思う。 2時間で見つかるとも思っていなかったけれど、やはり見つからなかった。 ついでにとても久しぶりに服も物色した。 服など、いつから買ってないだろうか。 半年以上、買っていない気がする。 化粧もそうだけれど、そういったファッションごとに本当にあまり興味がなくなってしまっている。 昔は私も女の子がそうするように、買い物が好きだったし、服も好きだったのだけれども。 最近はもっぱら着る服もローテーションで、ほとんど同じ格好をしている。 冬と夏の違いもはっきり言って羽織り物以外にはあまりない。 この状況を、私は好ましいとも好ましくないとも思っていない。 ただその辺にあるものを取って着ているにすぎず、とっておきのお気に入りをヘビーローテーションで着ているわけでもなく、かといって着づらい服は着ないので服に対するストレスもない。 ほとんど何にも、無いのだ。 せめて、着ていると気分が上がるような服をヘビーローテーションにすると良いかな、と物色する。 買う量が少ないのならば、少し値段の張る服でも良いではないか。 そうすると、かなり気に入らないと買えない。 かなり気に入る、なんてなかなかあるものではない。 好きな服のブランドが決まっていてほとんどそのブランドで買う、という話を時々聞く。 その人は、それはそのブランドが好きなのかもしれないけれど、その人はあまり服のことが好きなのではないのではないだろうか、とちょっと思ってしまう。 でも、今の私みたいな人は、好きな決め打ちのブランドがあるのは羨ましい。 一押しのブランドさえあれば、いつも気に入ったものがそこにあって、選ぶ必要もなくなる。 いやしかし、そんなことがあるのだろうか。 先日、けいこが来たとき、木瓜の隣りにすくすく育っていた雑草を引っこ抜かれてしまった。 雑草なんて生やしておいてどうするの、と。 大したことではないのだけれど、何とも言えない気分になった。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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