いやはや実に師走らしく、皿が割れた。
なんてことでもあれば良いものだが、皿は割れていない。 もらった1個のショットグラスを小さなショルダーバッグにそのまま入れて帰ってきたのは本当だ。 何を言っているのだ。 今私は人生で初めての大きな考え事と調べ物とフィールドワークをしていて、それによって頭が沸き立っている。 そのことは別に悪いことではなくて、どちらかと言えば良いことと言うか、良くなるようにすることである。 しかしながら、もろもろの日常的なことをこなしながら、この考え事と調べ物とフィールドワークをするには忙しすぎるのである。 別に今やらなければならないことではさっぱりないのだが、ここまできて頭が沸き立って動いてしまって消費した熱量を何の成果物もなしに終わらせることがもったいなくなってしまっている。 いやでも、そんな一時の沸騰で決断するようなことではない。 しかし、一時の沸騰でもない限り決断できるようなことでもない。 まあ、またいつかこのことでヒートアップすることもあるだろうから、この考え事と調べ物とフィールドワークには何の成果物もないということはないとも言えるけれども。 もったいない、ということは興味深くて、私はいつも総合的な、もったいない、ということを基準にして行動をしているような気さえする。 書を書くことは、紙が本当にもったいない。 しかし言うなれば得られる満足の方が大きいことが多いものだから、積み上がった反故の山を作った自分に対して「よくやった」とさえ思う。 いつだって私たちは何かを消費浪費しながら生きている。 時間の浪費がおそらく一番惜しいだろう。 そこに対する総合的な心の釣り合いを取らねばならない。 あくまで“総合的な”。 さてはて、どうなることだろう。 興奮と快適を共存させた結果になれるだろうか。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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