隔月で一回行われている句会があった。
わらわらと以下の20句を作って、投句したのは上の3つ。 3つのうち上の2つは入選を果たした。 ひとつずつ豆らしくいるそら豆かな 見舞い後の拠り所無き夏蒲団 原色を探す鯔背な夏の蝶 そら豆の青き輪郭食べてをり 透きとほる止まりし時食ふ葛饅頭 缶切りはグシグシ進む墜栗花前 髪結わき相対峙する鰻かな 季語たわわ脳にしわしわ麦の秋 芍薬の重さドレスのごときかな 虫となり芍薬御殿で目覚めたし 文鎮の鉄の匂ひや梅雨湿り 緑陰に揺れるは靴やポニーテール 風薫るポニーテールをほどくなり 孑孑と書けば命が飛び立てり 塩粒と豆粒つまみ冷やし酒 麻雀に興ずれば尚明易し 鉛筆の粉が動きて蟻の列 石垣を登り帽子にさくらんぼ 夏の蝶ジャズピアノ舞う喫茶室 原因を持ち去りて舞う夏の蝶 句会はいつも緊張する。 やっぱり人に自分の創作物を見てもらうときはその評価は気になるものだ。 「ひとつずつ豆らしくいるそら豆かな」は選んでくださった方の評に、「切れ字の「かな」は無い方が良かったのではないか、そうしたらもしかしたら私は天(最高得点)を入れたかもしれない」と言われた。 この「かな」については、私は特に何も意図的なことはなくて、なんとなく「そら豆」では4文字なのでそんなときは「かな」が口をついて出てきてしまう、そんな感じだった。 それに、字余りであることはまあいいかと思っても、字足らずであることは、避けるも何も発想すらなかった。 字余りがあれば字足らずもあるわけだけれど、尾崎放哉の「咳をしても一人」というような自由律の句以外にあまり多くを見たことがないように思う。 ほう、字足らず!と思ったことが今回の句会で私の句においての最もはっとしたことだった。 当然と思うようなことに、前から知ってはいることに、全然無自覚で気付いていない、そんなことは日常的に広くあるものだと思うから、だからたとえその時に理解が及ばないようなことであったとしても人の指摘や人の発想は謙虚な気持ちで聴きたいものである。 他人の評価や自分の好き嫌いを置いておいても、知ってやること、知らずにやること、知って尚やらないこと、それらは全て意味が変わってくる。 まあ、自然に出たこと、が一番良いということも多々あろうし、その道を極めている人のそれ、が感動を呼ぶのだろうと結構強く思っているけれども。 俳句において、字余りや字足らずや句またぎや切れ字などの一般的な技法を使うには、それがその句において効果的である必要がある。 カッコ書きや句読点やアルファベットを用いることなどのあまり使われない手法においても然りである。 以前私は、句またぎの句に憧れてよくまたごうまたごうと句を作っていたことがある。 まあそれも、ギターでいうチョーキングチョーキングみたいなことで、初めはそれをすること自体が楽しくて、そこから分かることだってあるから、気が済むまでやれば良いのだけれど。 そして私はチョーキングは上手くできないけれど。 今回私が選んだうちの一つで、蚕豆さんの、 こどもの日「期間従業員募集」 という句があったけれど、この不気味さはカッコ書きも句またぎもよく利いている 私の、「ひとつずつ豆らしくいるそら豆かな」という句を、もし字足らずの技法に自覚的であったとして、「ひとつずつ豆らしくいるそら豆」という字足らずの状態で投句したかと言われればどうだろうと思う。 意図的に句の中で「豆」だけを漢字にすることでその「豆感」をより際立たせたかったわけだけれど、「そら豆」と字足らずで止めると、「豆」という言葉はより印象的になり、しかしながらとても不安定な音「豆」が余韻として残る。 「豆」という音だけが圧迫気味に主張を強めて、一粒ずつのそら豆に孤立感というか確固たる独立感が生まれて、そこに豆だけが存在してその豆を食べている私の存在が失われてしまう感さえある。 ここには一つひとつそら豆の輪郭をそら豆だなあと思っている私の存在があって、初夏のそら豆を愛でているちょっとかわいらしい雰囲気というのも持たせたかったので、「ひとつずつ豆らしくいるそら豆」と豆感にフォーカスした感じがする字足らずの状態ではおそらく出さなかったのではないかと思う。 まあ、それもこれも私の勝手な思いの込みの域を出ないし、「かな」と切れ字にしたところで「食べている私の存在」を匂わせることに成功しているかどうかはまた別の問題であるが。 バレーボールの試合をTVで観戦した。 スポーツは五郎丸という人物が未だ判然としないくらい全般的にどれもこれも見る習慣がないけれど、バレーボールは自分がやっていたのでタイミングが合えば観戦する。 私は自分がやらないスポーツの観戦の仕方がいまいちよくわからない。 長岡選手はスパイクの切れが男子的でカッコイイ。 前回美容院に行ったのは夏過ぎ頃だっただろうか。 半年を過ぎたあたりくらいから収拾が付きづらくなってくる。 まとまらないけれど無理やりまとめる髪型をし続けて、いよいよ限界であろう頃に美容院に行くと、年1回くらいのペースになる。 そろそろ染めたいしパーマもかけたいけれど、そうなると4時間くらいかかるだろう。 どこかに出掛けて、空き時間がたっぷりあって、座りたくなったタイミングがあれば美容院に行くことにしよう。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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