函館に行ったら是非ラッキーピエロのハンバーガーを食べてください、とかつて函館に住んでいた方から言われていて、ハンバーガー好きの私は楽しみにしていた。
が、昨日の昼は噴火湾というところでピザとカレーライスを食べてしまったし、夜は飲みに出かけてしまったし、今朝は9時にホテルを出なければならなかったので、食べる機会を逸してしまった。 ちなみに函館山の夜景も皆から勧められていたが、疲れていたのと毎日かなり混んでいるという情報とお腹が空いているということで結局見に行かなかった。 旅行に行ってせっかくだからともったいない根性で盛り込み過ぎるのは好きではない。 函館山の夜景を見損なったのは特別に未練はないのだけれども、ラッキーピエロはやや心残りである。 いつかまた函館に来たら是非食べたいものだ。 旅行中の、食べる、という行為は難しい。 お腹の減り具合とその限度と、移りゆく気分と、名物は食べたいと思う心と、不意に出会う食べ物と、移動などの時間の制約と。 日常でも食べるという行為の難しさを常々感じているが、旅行においては悩ましいくらいである。 毎日数度その選択を迫られるものだからその選択責任を回避したくて、もう食べられれば何でも良い、と開き直ってコンビニのサンドイッチで済ませてしまうこともある。 そのタイミングで最も良い選択をして最も良い気分を味わいたい、つまり美味しいものを美味しく食べたい、というだけのことなのだけれども、何だか私にとって難易度の高い問題になってしまっている。 さて、心配された台風の影響も、飛行機が着陸時に少し揺れたくらいで無事に成田空港に降り立つことができた。 今日の東京の気温は大したことはないが、ものすごい湿気だ。 格安航空は乗り心地やその他サービスも気にならないのだが、飛行場の真ん中あたりで降ろされてターミナルまでバスで移動など、何かと追いやられている感じがある。 リムジンバスは都心まで滑るように走り、少し台風の風雨に濡れたけれど自宅までも滞りなく帰着。 荷解きをしてコーヒーで一息。 5日間の中日でホテルの洗濯機で一度洗濯をしたのだが、着るものは着ているものを含めて2セットで十分だなと思った。 元々荷物は劇的に少ない方だが、もっと少なくできそうである。 この辺で、旅の序盤を執念で回想しておこう。 青森に着いたら、書家の知人が新幹線の改札で待っていてくれた。 マヤマさんと言うは白髪のおじさまで、年はちょうどけいこと同じくらい。 手紙のやりとりをしたことがあり、顔もFacebook上のプロフィール写真で存じ上げているけれど、会うのは初めて。 初めてだけれど初めての気が全然しない。 定期的にブログを読んでいたり、書を見ていたりするとその人のことを知った気になるもので、実際にお会いするときもコミュニケーションがスムーズに行える。 しかし、どぎつい津軽弁でお話になられるのでやや驚いた。 これでも分かりやすく喋っているのだよと言われたが、気を抜いてぼんやりと聞いていると外国語を聞いているような気分になってさっぱり話を聞いていないということにもなりかねない。 Facebookの面々のお話やら、青森と東京の気候のお話やらをしながら、電車の出発まで30分ほどの時間を潰す。 時間が経つにつれて、津軽弁に耳が少しずつ慣れてはきた。 ところで、JR東日本の区域でSuicaやPASMOが使えないところがあるとは思っていなかったのだが、青森は使用エリア外とのことで切符を買わねばならなかった。 現在は東海地方でも使えるのにも関わらず、また青森駅は辺境な地でもないにも関わらず、未だICカードが使えないとは少し驚きである。 ああいった機能を搭載するには結構なお金がかかるだろうから、この辺りのJRの経営状況継続的に逼迫しているのかもしれない。 それにしても東京の猛暑と比して青森は気温が低い。 青森も30度を超えることがあるようだから偶然なのだが、20度ほど違うのではという感じ。 冬は豪雪、1mも2mも積もるようなこの地の束の間の夏がもう終わろうとしている侘しさを感じる。 日本三大祭りであるねぶた祭り真っ只中の青森は人が沢山いた。 新幹線のある新青森駅からねぶた祭り最寄りの青森駅まで数分間のひと駅なのだが、2両しかない電車に人がわんさか詰め寄って私としては稀に見るぎゅうぎゅうぱんぱんの満員電車が出来上がった。 インドの満員電車みたいに、電車の扉につかまったり、上に乗って座ったりする身軽さがあればそのように乗ってみたい気分だった。 日本でそれをしたら捕まるけれど。 久しぶりの満員電車でやや腰を痛めたが、何とか青森駅に到着。 ねぶた祭りの準備会場であるところに案内いただき、雨予報のためねぶたに大きなビニールをかぶせているところを見物。 土産物屋もぐるっと一周、途中食べた焼き帆立がとても美味。 ねぶたの会場まで移動する間もマヤマさんはひっきりなしにねぶたや青森の話をしてくれた。 広い車道に、広い歩道。 会場に近づくにつれて歩道の脇にはパイプ椅子が並ぶようになって、すでにお弁当を食べたり酒盛りをしている人々もいる。 マヤマさんがその界隈のお知り合いに話を付けておいてくれて、パイプ椅子に座って観覧できることになっていた。 有り難い。 ねぶた祭りの開始まで1時間以上もあったけれど、ずっとマヤマさんとお話をする。 間もなく始まるというくらいで近くの屋台でビールと焼き鳥を買って。 雨がぱらぱらと降っていて肌寒い、天気は何とかもちこたえてくれると良いのだが。 祭りが始まった。 巨大な張りぼての山車ねぶたと、「ハネト(跳人)」と呼ばれる踊り子が群衆になって、「ラッセラーラッセーラー」という掛け声とともにが大通りを練り歩く。 ねぶたの山車は評価委員がいて、毎年立派なねぶたに賞が付くのだそうだ。 ハネトはその山車のメンバーでなくても誰でもなれるらしいが、参加するには正式な衣装が必要とのこと。 頭には花笠、浴衣を着て赤やピンクのタスキをし、浴衣は膝くらいまでたくし上げ「オコシ」と呼ばれる前掛けのようなものを巻いて、足は白足袋草履。 今インターネットで調べて知ったが、デパートなどでこれら正装一式10000円ほどで売られているそうだ。 因みに4000円ほどでレンタルをしているところもあるらしい。 マヤマさん曰く、以前はハネトで暴れたい若者が地方からもたくさんやって来ていたのだが、祭りの太鼓や笛の音を邪魔するホイッスルを鳴らしたり、爆竹をやったりと風紀を乱すため警察などと取締りを強化したのだそうだ。 地元民たちは、彼らが祭りの活気をさらに盛り上げていたから寂しくなってしまったと言う人もあり、治安が良くなって何よりだと言う人もあり。 確かに、活気のある祭りの割に治安が良いなあとは思っていた。 少し整然とし過ぎているようにも感じたくらいだ。 フジロックみたいなもので、規模が大きくなると大がかりな規制をかけることもでき、群衆では様々な危険が予測されるから大勢が皆予め前のめりに助け合って行きましょうという心が働くのかもしれない。 大勢の互いの薄い監視力は治安の良さと引き換えに、火のような爆発力を鎮静してしまうのかもしれない。 ハネトは小さな鈴を観客に向かって投げ、それを小さな子どもたちが一所懸命拾い集めている。 私の生まれ育った街にも派手な祭りがあって、太鼓や笛の音は何だか幼い頃の祭りを想起させた。 子おどりの練習で毎夜小学校の体育館に通ったことや、朝5時くらいから白塗りべったりのお化粧をしたこと、口紅を付けているからごはんが食べづらかったこと、雨で足袋がぐしょぐしょになって神社の砂に埋もれてしまったこと。 よく覚えていないのだが、楽しくもなく楽しくなくもなく、見栄を張るでもなく夢中になるでもなく、あの頃、小学校2,3年生の私は無心だった気がする。 ノスタルジックな回想をしていると、もちこたえられなくなった雨が本格的に降ってきた。 ざざ降りである。 一本だけ持っていた折り畳み雨晴れ兼用傘は役に立たなかったということはない。 しかし着ていたワンピースの裾もスニーカーから靴下も水が染み込んでしまった。 雨が楽しさを倍増したということは別にないが、雨は雨で「ちょっと大変だったね」という一つの話の種に昇華できるのでちょっとしたトラブルはあっても良い。 再度新青森駅まで混雑した列車で戻り、そこから宿泊先の健康ランドまでマヤマさんが送って下さった。 本当に有り難い。 この他、健康ランドの話やマヤマさんにお土産に持って行ったルスルスのクッキーの話や翌日のマヤマさんの青森観光の流れやも備忘録としておきたいのだが、長くなったのでまた今度にする。 今度があるかどうかは、今は分からない。 とりあえず、マヤマさんには申し訳ないくらいお世話になってしまった。 お土産にと高そうな筆と墨までいただいてしまった。 何か不意打ちでお礼の品をお贈りしたいが何が良いだろうか。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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