変な夢を見た。
句会に出るのに、句が完成していない状態で会場に行き、皆がもう投句し終わっているのに私だけ「待ってください待ってください」とどきどき焦りながら句をひねっている。 出すならちゃんとしたものを出したい、でも時間が、もっと早くからやっておけばよかった、そんな風に思うなら何でやっているんだ、あぁ全然思いつかない、こっちよりこの方がいいかも、あぁ、あぁ・・・という感じに。 実際に投句は句会の数日前が締め切りである。 だから当日にそんなシチュエーションになることはないのだけれど、締切日によくある光景ではある。 またこんな夢も見た。 東洋大学の書道学科、実際にこの名前ではないと思うけど書道を教える学科がある、に様々な軋轢を蹴って志望することに決めた、という夢。 軋轢とは、鮮明に夢なので覚えていないけれど、早稲田大学の方が良いだのなんだということがあった気がする。 これは何度も書いたことがあると思うが、私は大学を卒業していない夢をたまにみることがある。 入学はしたがいろいろがうやむやになって結果卒業できなかったとか、受験しても受からずに最終学歴が高卒であるとか。 夢というものはなんだか深層心理、どこか私自身が腑に落ちず引っ掛かっていることが無意識に現れてくるのだろうと思っているので、私はまだこんなことが引っ掛かっているのだなと辟易とする。 夢占いなんてものがあるけれど、またそれ自体にはあまり興味もなければよく知らないけれど、それが占い理論として系統立てて何かが言えそうだとすることは分かる気がする。 現に私は父が死んでから数年間、父が生きているのか死んでいるのか分からない状態で生きながらえていた夢を頻繁に見ていた。 しかし、私はあるとき不意にあるひとつのことが分かって以来、その夢を一度も見ていない。 私は20代前半くらいまで、それが自分の決断だと思い込んでいることも、何か大きなものの考えに自分自身の思考が癒着して決断を下してきたように思っている。 戦うことが怖くて、負けるのが嫌で、自分の情けなさや弱さを認められなくて、きっとそんなようなことをそれさえもなかったかのように振る舞ってきたのだと思う。 それは見事なまで私のアイデンティティと同化していて、矛盾さえも自覚が無かった。 過去を思い返してみて、私が高校生のとき、さして書道には興味がなかったので大学から書道を専攻するような道は発想にもなかった。 だから選択のしようはなかったわけで、それ自体は後悔という言葉は充てられもしないのだけれども、若い頃に私もそれをやっていられたら良かったなというふうには切に思ったりもする。 だから今は少しでも人前に私が考えていることや良いと思うものをちゃんと考えてちゃんと晒していきたいと、そんなふうに思っている。 後に振りかえればきっと赤面してしまうような無知で馬鹿馬鹿しいことであったとしても。 そのときにはそんなことは分かりようもないのだから。 句会の夢は、それを分かっていながら怠惰にやられてしまうことの折り合いが悪いということかしらと思う。 怠惰の小心者ということが自分を表するのに丁度良いのかと思うけれど、そんなの最悪である。 こんな個人的で大したことがない話は、例えば大自然を目の前にすれば、宇宙を夢想すれば、文字通り大したことではなくなるのかもしれない。 しかしこれは経験上、本当に腑に落ちることがなければ、大自然も宇宙も全然効き目がない。 その場しのぎも大切で、何がヒットするのかが分からないけれど、たぶん何かしらと「向き合う」ということはとっても面倒ながらもしなければならないのではないかと思っている。 自分で何かやること、やれたと思うこと、それだけが私がこのような類の夢を見なくなるひとつの方法なのではないかと思う。 つまるところ、自信がないのである。 去年、東京書作展で東京新聞賞を受賞したことは大学受験を推薦でスイっと通り抜けてしまったことを払しょくするひとつの自信になったかと思ったけれど、それではまだだめらしいのだ。 久しぶりの休日、卓球をしに出かける。 私は結構卓球が好きで、素人ながらにまあまあ得意である。 そんなことでも互いの戦略と勝負心みたいなものが見えて楽しいのである。 そして、筋肉痛なのです。 そして、6月のカレンダーをようやく捲ったら8月に捲りすぎたことに気づいたのです。 未来日を生きているのか。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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