年賀状を書いている。
人のではない、自分が出すもの。 実に20年ぶりくらいではなかろうか。 私には、さっぱり年賀状を出す習慣がない。 元々合理主義的な部分は多分にあるし、世間的社会的な慣習ごとにあまり興味がないと言えばない。 結婚して子どもが産まれました、という賀状を見て、それだけの関係を続けるくらいなら、実際にどうとでも取れる連絡を一本取って会いに行ったらいいじゃないか、そう思ってきた。 まあそれは今とてあまり変わってはいない。 そんなふうに若い頃からやってきたら、一枚、また一枚と友人からの年賀状は減っていって、合間に引っ越しなどを重ねて、ついに今年は一枚も来なかった。 正しくは、郵便局からと去年行った美容室から、2枚は来ていた、ような気がする。 だが、今年はレッスンで年賀状を書いている人がたくさんいるので、恐る恐る彼らに「私にも出してもらえません・・・?」と申し出てみたのだ。 頑張って書いた手書きの賀状だったら、ぜひとも欲しい。 曲がりなりにも私は、先生、と呼ばれる立場でもあるので、年賀状の依頼を誰も断ったりはしないのだけれど、もちろんのことこれは自由意志である。 55円ほどの金銭と、一枚の賀状書きにかける労力が私にはそぐわないと考える方は、もちろん、もちろん出さなくて良い。 そこで万が一関係に亀裂が入るようでは、そんな関係も悲しい。 その申し出は、生徒さんが書いた賀状を楽しみたい、という私の願望なのだけれど、ということは、私自身も出すことになるのかと、当たり前のことにはたと気が付いた。 レッスン用にいくつかのサンプルを筆ペンで作ってはいたけれど、せっかくならばインクではなく墨の照りと潤滑を以てして書きたい。 ちょうどそんな折、ある企業さまから表も裏も依頼を頂いて、どのような紙面にするかを考えていた。 ついでに自分のものも試しためしで書いてみる。 だんだんと形が決まってきて、それを量産していく。 送る人の住所はまだあまり集めていないから、分かっている人から宛名も書いていく。 書いていくうちにこの紙面においてだんだんと上手くなってきて、最初の方に書いたものがあまり良くなく見えてくる。 しかしそんなことを言っていてはキリがないので、最初の方に書いたものは見ないことに決め込む。 シンプルだけれど、なんだか満足のいくものができた。 個人的豆書ブームで小筆に慣れた甲斐もあって、細字もある程度問題なく扱えた。 年賀はがきならぬ、年賀切手、というものを教えてもらった。 おとしだまくじが切手に付いている。 これなら普通のはがきで失敗し放題なので、良いものだけを使って出すことにしよう。 まだまだ書く人も増えそうで、そんなことでも12月は忙しくなりそうだ。 仕事でもなく勝手にやっていることで忙しい、というのはそれをしているとき、たいてい顔はにやけ気味だろう。 時折、しかめっ面もしているとは思うけれど。 今年は実家から帰ったら郵便ポストが年賀状でほくほくとなっていることだろう。 楽しみだ、とっても。 伊勢の「ひもの塾」というところの干物を猛烈に勧められて、数か月前に買ったセットを、冷凍庫から取り出して少しずつ焼いて食している。 皆さんは干物で感動したことがあるだろうか、と読者に話しかけるスタイルなどこれまでやったことがないけれど、そんなことをしたくなるくらい、美味しい。 干物の中に脂がたっぷり残っていて、とてもジューシー。 干すことによって凝縮されたであろう旨味と、透明な魚の脂が脳天を突く。 とにかく、アジやらシシャモやらイカやら、どれも干物らしからぬしっとり感がたまらない。 「いいちこって下町のナポレオンだ」と思いながら、水割りを飲む。 インフルエンザは跡形もなく私の体から姿を消した。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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