書作展の会期を終えて、いろんな方々が見に来て下さったり、懇親会に参加したりなどして、未だその余韻が残っている。
私はこれまでほとんど、書の世界の人々と話したことがなかった。 ある方がお声掛けをしてくださって、私は書をやられているいろんな流派の、あるいは個人の方々とお話をすることができた。 本当にありがたい機会だった。 辛口の批評もいただけて、心が縮んだ一方で無限の世界の拡がりを感じ、さてはてこれからどのようにして行けば良いだろうとやや気を揉んでいる。 「短気だろ?」とも言われて、一瞬どういう意味なのか分からなかったけれど、「あれだけの長文を書けるのは気が短くないと書けない、思い立った時に瞬発的にな」と聞いて納得した。 今まで、自分が短気であるかどうかは、トピックとして取り出したことがあまりないのでピンとは来ないのだけれど、確かに私は幾か月、幾年をかけて同じ書に取り組んだりすることはおそらく無理なのではないかと思う。 短期間であっても、同じ内容の書を500枚書くのも無理だろう。 200枚くらいなら分からない。 一定の短い時間において見せる根性はなくはないのかもしれない。 ゴールがちらりと彼方に見えている中距離走といったところだろうか。 事実、今回出品するにあたっては、気持ちの露出というよりは、どのようにしたら勝てるだろうかと少し考えて、今の技術では難しいが根性なら少しは・・・と思ったのだった。 これは、功を奏した部分と裏目に出た部分があったとは思う。 短気、なのかどうかは改めて自分を見つめてみたいところだ。 自己は虹色の多面体のようなものだと思っているので、何かを決めつけにかかることはしなくて良いし、ただ私が私をやり続ければ良いだけのことだとは思う。 しかし、短気、というワードが無性に気になるのでストックしておこう。 どんな芸事の世界にも、奥が深すぎて、やることが多すぎて、とりあえず気になる部分から手を付けているしか方法がない。 今いるところとは全然別のところで教えを請うてみたいとも思う。 改めて、私は大人数の中にいることが苦手だということも思った。 別にこれは全然良いことだと思っていないけれど、どうしても話が散ってしまい、話題は表層的になりがちで、私はどこに焦点を当てて話したらよいのか分からずに迷子になる。 緊張しているとよく喋るのは昔からで、そしてそれを飛ばそうとする意識もないままに私はお酒をたくさん飲んだ。 挙げ句、本当に酩酊してしまって、仕舞いには視界の焦点も合わないくらいになってしまった。 タクシーで何とか家までこぎ着けると、玄関の鍵も締めずに、全てを置き去りにして洋服を着たままベッドに横たわっていたことを知ったのは、翌朝、強盗殺人でもあったのかと思うほどに荒れた部屋を目の当たりにした時だった。 途中巻で読み止しになっていた「とめはねっ!」を読む。 勉強になる。
0 コメント
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|