結局けいこの誕生日には「ロリオリ」というケーキ屋さんの突拍子もないドレス姿の女の子のデコレーションケーキをあげることになった。
もうこれにしようといもうとととある作家さんの陶器のビアグラスに決めたのだが、いざ伊勢丹に再訪するとその作家さんの会期が終わってしまっていて手に入らなくなってしまっていたのだった。 慌てて代替物を探してもピンとこず、ネット通販で見てもSOLDOUTばかり。 やはりこういった一点物は出会ったときに買わねばならない。 食べ物をあげてもさして喜ばないけいこにケーキをあげるのはいかがなものかと思ったが、このまま流れるよりも消え物で手を打っておいた方が良い。 ならば普段絶対に自分のためには買わないものを、その場を明るくしてくれるような少しの驚きと笑いを、ということで突拍子もないドレス姿の女の子とのデコレーションケーキと相成った。 こういった見た目重視のものは味が心配と言えば心配なのだが、そこは伊勢丹に入っているのだからと、また伊勢丹さんの質力に託すこととする。 当日、立食パーティに参加してくると言っていたけいこの腹具合を心配していたのが、全然食べる暇がなかったということでお腹が空いているという。 それはとても好都合。 伊勢丹のデパ地下には魅力的なケーキがたくさんひしめき合って並んでいた。 ロリオリのショーケースには、ドレス姿の女の子のケーキ屋、ビールジョッキを模したケーキ、食べられる大きなリボンにあしらったケーキ、ビーズの宝石箱のようなデコデコに薔薇の装飾されたケーキなど、およそ普段の生活ではお見かけすることがない色合いとフォルムのケーキがずらり。 食べ物は見た目よりも味、美味しければ何だって良い、なのは確かにそうだと思うけれど、果物や野菜のカービングや氷細工や飴細工や、食べてあるいは溶けて無くなってしまうものに施す、職人さんの装飾技術とその意欲や熱意を見るのが私は結構好きである。 興味のない人からすれば全くもって価値がないと言っても良いのだけれど、装飾に装飾を重ねて美しい見た目にしたいのである。 その一見無駄な方向への研鑽については、何だかシンパシーを感じるものである。 ちなみに、こういったことにシンパシーが感じられるようになってから、私は俄然世界のいろいろなことが面白くなったし、世界に対して優しくなれたように思っている。 され、ケーキは大きい方がインパクトがあるけれど、食べ残すのは嫌なのでここは一番小さいものだろう。 ろうそくはどこに挿すのやら、ドレスに放射状に?お尻に尻尾のように?とひとりにやにやとしながら、ネームプレートを書いてもらって購入を済ませた。 倒さないように、揺れないように、気を配りながら電車で帰路に着くと肩が凝ってしまった。 家に着いたけいこは持っていたおにぎりを食べると言うので、先日の結婚式の際の引き出物の伊勢海老のお味噌汁を出した。 おもむろに、ドレス姿の女の子登場。 結局ドレスに放射状に5本のろうそくを立てて火をつけて、ふーっ、おめでとう。 ケーキカットならぬドレスカット、いやケーキカットをして皿に盛り付ける。 こういうとき、私は発想が小学生男子のようになってしまうのだが、どうしても「花嫁惨殺 バースデー殺人事件」といった言葉が浮かんでそれを言わずにいられない。 上半身はチョコのようなマジパンのようなもので、皿に寝かせると棺桶で眠っている美女が想像されてしまった。 それはさておき、このケーキ、とても美味しかった。 ごく真面目に作られたショートケーキである。 けいこも喜んでいた、と思う。 翌日、パティシエの生徒さんが来ていたのでこんなケーキがあって、と話すと、「え!それうちで作ってるやつです!」と言う。 しかも、「クリーム私が絞った物かもしれません。いやでも襞が少しよれているから私じゃないかな」と言う。 背の高い箱ごと冷蔵庫に入らなかったので、私がヴェールのようなラップをかけたときに襞が崩れた可能性は十分にある。 真相は闇の中、だが。 全く関係ないところで各々が動き、それが後々リンクするという偶然体験は時々あるものだが、なんだかハイタッチしたときのような嬉しさがあるものである。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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