いよいよ本当にサウナづいている。
こんなことになるとは齧り始めは想像していなかった。 なんと2日に1回ほどのペースで行っているのである。 しかもかなり出不精な私が1時間とかそんな小旅行のような距離の銭湯にまで足を伸ばしている。 昨日の夜も行って、今日の昼も行ってしまった。 私はお酒を昼から飲むことはあまり好みではなく、どうせなら夜の時間に安心して飲みたいが、サウナは時間を選ばずにどんなときも楽しむことができる。 必要なのは健康な身体だけだ。 今日行った場所は青空を望める場所に水風呂があってとても開放的で気持ちが良かったのだが、もし今日がどしゃ降りだったとしてもそれはとても良いものだろうと想像ができる。 夕暮れ時のマジックアワーでも、真っ暗な深夜でも、きいんと空気の張りつめた冬の朝でも、気怠い真夏の昼下がりでも、台風が来そうな心許ない日でも。 雷だけはちょっと怖いけども。 サウナで非常なほどに温めたり冷やしたりしているわけだから、あまり外気温は関係がないし、そもそも身体は濡れているわけで、晴れでも雨でもさほど関係はない。 お酒を飲むと身体は重くなる一方だが、サウナは軽くなるので時間も選ばない。 ただ、満腹時は嫌かもしれない。 何かにハマる、というのは人生において最上級に幸せなことである。 何もかも、意図して予定を立ててハマれるものではない。 お金と労力と時間と我が肉体と、それら非常に大切なものをつぎ込んでも良いものなんてなかなか現れるものではない。 且つそれはやらないならばやらないで全く問題が起こらないものである。 ハマるというのは、きっかけとなる体感を伴う体験が必要である。 私が数年前ロックンロールに落ちたときのように突然雷に打たれてそうなることもあるだろうし、今回のサウナのようにちょっとした練習やその界隈のことについての知識を得てみた後に体感を得られることもある。 何かにハマったとき、それは自分の中でとてつもない指針になり、それまでそれを知らなかった自分を悔いたりする。 まあでも分からないときには分からないのでそれは仕方がなかったわけで、それはさておきとことんハマってみる。 いろんな角度からいろんなことをして、そのことについて掘り下げてみる。 そうすると、気づくことがある。 最初にハマるきっかけとなっためくるめく体感を超えることがおそらく無い、ということである。 魔法は必ず解ける、いや最初から魔法などなかったのだと思い知る。 もしそれを薄々知っていながら、それでも自分を目くらましして、「いつだってサウナ最高!!!」という発言を私はしたくないしできない。 永遠に最高、なんてことは当然ながら無い、のである。 脳は初めての信号に大量のエンドルフィンを放出したのだろうし、その後同じことを繰り返してもエンドルフィンは出るのだけれど既に学習してしまった脳からはあのときのような量を放出することがなくなってしまうのだろう。 慣れる、飽きる、ということが否応なく起こってしまう。 ロックにハマったときにも同じ体験をした。 私の場合、ロックの効用は自分で意図的に目くらまししていたことも手伝ってかなり長かったが、それでもやはり反応はとても薄くなった。 この一連の流れは、多方面で言われているようなことだ。 あるサウナの漫画家さんが言っていたのは、「最初は宇宙と一体になれたような気がしてすべてに捧げたい気持ちになったけれど、最近は地球に感謝くらいですね」というようなことだった。 ロックもサウナも、梵我一如の体験だと言って良さそうである。 私のサウナ体験としても宇宙と一体になれた感覚は分かるような気がするし、そして私は早くも地球に感謝レベルまで落ちてきてしまっているといっても過言ではない。 でも、地球には大いに感謝しているし、そのくらいならば今後もそれなりに長く続きそうな気はしている。 ムッシュかまやつの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」は全て物語っているような気がする。 まさしくそれ、という感じである。 ロックにもサウナにも、全霊の期待など捧げてはならない。 その刹那の切なさを胸に、また日々をうろうろと歩いて行く。 水風呂は20度を切っていて、幼い頃に唇を真っ青にしてプールに入ったときのことを思いだした。 この季節はどの街も、魔法がかけられたようにきらきらしている。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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