おげんきですか?おばさんはげんきです。
わたしはこんど、おばあちゃんといっしょにはまなこにりょこうにいきます。 おみやげをかってもっていくね。 かぜひかないようにね。 またおばさんとあそんでね。 おへんじまっています。 えみこおばさんより。 4歳の姪にひらがなでお手紙を書く。 最近音楽教室の先生からはがきをもらった姪がとても喜んでいたらしく、それを見たいもうとが私に書いてほしいと頼んできたのだ。 かつて、小中高生の頃は私は手紙が好きでよく書いていた。 小中の頃には交換日記も複数の子とやっていたし、雑誌に「文通しませんか」の募集から見知らぬ仙台の子と文通もしていたし、高校生の頃は何か藁半紙の裏にびっしり、授業をまるまる費やして手紙を書いていた。 大学生の頃にも、メールがあるにも関わらず浪人していた友人としばらくの間文通をしていたこともあった。 とにかく手紙を書いて、お返事をもらうことが楽しくてたまらなかった気がする。 机の上やポストの中、私宛に届くお返事の手紙を見つけるのはとってもわくわくしたものだった。 何を書いていたのかほとんど思い出せないので、きっと内容云々よりかは手紙をやり取りするというそのこと自体が好きだったのだと思う。 今はもう全然手紙など書くこともなくなって、暑中見舞いも年賀状さえも書かない。 長い長い手紙を書いたのは、3年ほど前に書いたヒロトへの手紙だろうか。 あれは長かった、B5ほどの便箋に7枚くらいあった。 数ヵ月後にヒロトからのサインのお返事が来たとき、それはもう別の意味を大いに込みで、飛び上がるくらい、吐き気がするくらいの大喜びであった。 字の仕事をしているものだから何故書かないのかとよく問われるけれど、今はそういったものを書くのにもちょっとした作品感を求めてしまうので、思いのままにざざっと手紙を書くことは難しい。 あとは雑記的文章を羅列するのならブログで満たされる。 ただ、作品感を込みで手紙のやり取りをすることを許してくれる人がいたら今でもぜひともしたい。 一方的ではなくて、双方的なやり取りで。 姪への手紙は、その辺にあった分厚いポストカードに。 私が絵を入れると台無しになるので、字だけ、ひらがなだけの手紙。 ちょうど仕事で結婚式の席次表を書いていたので、細筆と墨を使って書く。 いもうととしては、“きれいな字”を身につけさせたいらしく、“きれいな字”を教えてあげてと言われていたので“清く正しく”かっちりと書いた。 おへんじまっています。と書いたけれど、4歳の姪は読むことはできても書くことができないだろうか。 まあ絵はがきでも何でも、お返事が来たら私は相当に嬉しいだろうと思う。 そんな4歳とのお手紙のやり取りが実現したのなら、それをそのまま絵本とかに仕立てられたらかわいい。 私は絵が描けないけれども。 友人に会いに行く電車の道中。 あとひと駅で着いてしまうから、ここでこれを書くのを止める。 お腹が空いたから、道すがら肉まんでも頬張って行こうか。 私は立って食べる肉まんが好きだ。 友人に撮っておいた姪への手紙を写真で見せたら「芽ひじきみたいだね」と言った。 確かに、艶のあるふっくらした筆文字の線は、戻した芽ひじきのように見えた。 流石だ。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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