とある休日のお昼を食べ終わった午後、散歩に出かけようと提案していた夫は気がつくと倒れるように寝ていた。
ここのところ連勤が続いていて疲れが溜まっているのは目に見えていた。 以前、休日に寝てしまって私が気分を損ねたことがあったが、寝るつもりもないのに身体が言うことを聞かず寝落ちてしまうことを責めようがない。 ましてや、私が思うに、夫はぐうたらなタイプではない。 しかしながら、そうは言っても、目の離せない息子を休日には見ていて欲しい気持ちが勝って怒れてしまうことが度々あった。 おそらく、このことに共感してくれるお母さんは沢山いるのではないかと思う。 今回は怒らないようにと、そして寝ている夫を起こさないように、息子を抱っこ紐に素早く入れて外に出た。 散歩中に起きて連絡してくるかしらと思っていたが、私が疲れてしまうのが先で、家に戻ると夫はまだ倒れ込んだままだった。 息子の相手をしながら「逃げるは恥だが役に立つ」の再放送を見てやっぱり面白いなあと舌を巻いていると、夫が今更だが慌てた様子で起きた。 私は少しだけ自分の中の火消しができておらず、燻っていたので何となく黙っていた訳だが、今度は夫が息子を抱っこ紐に入れて出かけていった。 久しぶりにひとりになって、「逃げるは恥だが役に立つ」を見終わって起き上がれそうもないので私もこのまま寝ることにした。 地面に、というか、床に、全体重を手放しに預けたのが随分久しぶりな気がした。 意識的に目の力も抜いて脱力した。 息子を目でも追わず、気を張らず、天井を見上げた。 そして、窓からはそよそよと風が吹き込んできて、間もなく寝入った。 そう、とっても、とっても、ひとりになりたかった。 息子は愛おしくて堪らないけれど、そして2時間の昼寝の後もう息子に会いたくなるわけだけれど、それでも、とっても、とっても、ひとりになりたかったのだ。 だから、嬉しかった。 来週には、保育園の入園面談がある。 認可保育園の希望園では空きがなかったが、小さな認可外保育園に入れることになりそうだ。 大量の書類を記入していると、いよいよだなと感じる。 たくさん、ひとりになれる。 気を遣わず、仕事もできる。 けれど、悲しいだろう、寂しいだろう。 共依存関係から、少しずつ、私はひとりを取り戻し、息子はひとりを楽しめるように。 お母さんやお父さんや、お家以外も良いものだと、世界は広いものだと、少しずつ知って欲しい。 来月でもう一歳の誕生日で、一年間も無事に生きたことに涙が滲みそうになる。 一年間、私は思う存分、私の身体が求めるだけ、息子を愛でてきた。 息子が生まれて初めて知ったのは、私の中に愛でたい本能があるという事だった。 愛でるべき、可愛がるべき対象が目の前にあって、こんなに愛でたかったのだ、可愛がりたかったのだと自分自身に感心している。 それが自分の子どもだからなのか、息子そのものだからなのか、はたまた小さきものだからなのか、おそらく小さきものだからなのではないかという感じさえする。 かといって蟻やハムスターをそういうふうに可愛がることは無さそうなので、犬や猫くらいの大きさからのような気がするが。 犬や猫も特段好きでもないし、ペットを買おうと思ったことは大人になってから自覚的には皆無だが、もしこの先10何年か子どもを持つことがなかったのなら、ひょんなきっかけから犬か猫くらい買っていた可能性も無くはないのかもしれない。 そのくらい、愛でたい本能が私の中に出番を待つかのごとく眠っていたのである。 飼い犬も子どもも、完全なる自分の所有物ではないが、筆頭株主くらいの権利を握っている身としては、自分の飼い犬や子どもには、頬ずりしたりキスをしたり抱きしめたり、し放題である。 他人の飼い犬や他人の子どもを思うがままに可愛がることはほとんど出来ないだろう。 だから、思うがままに愛でる対象が手元にあるのはとても幸せなことである。 しかし、子どもは犬ではないので、相手の都合で思うがままに愛でることが徐々に出来なくなっていくだろう。 もちろん、そうなってくれないのも困る。 だが、寂しい気持ちにもなる。 あまりに当たり前のセンチメンタルの背景には、しとしと梅雨空がある。 10万円の給付金を当てにして、高めの画集を4冊買った。 寝ている隙に眺めよう。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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