眠い。
朝方人間、夜型人間、という言葉があるが、これは遺伝子に組み込まれた身体のサイクルを言うので生活習慣を改めてもどうしようもない、というような記事を読んだ。 科学が全て正しいということもないだろうが、自分の身体の反応に身に覚えがあることについて科学的解釈が加えられると俄然納得感が高まる。 一般的には、朝起きて夜寝るという生活リズムが推奨されているように思う。 人間とは皆、そういう生き物だ、と言わんばかりに。 朝日の光は私たちの脳に刺激を与え、朝ごはんは眠っていた身体を活発にするためのガソリンで、夜は早めに夕ごはんや入浴を済ませて就寝までは神経を高ぶらせるあらゆることを避け、日付が変わるまでに床に就く、それが正しい生活習慣である、それが心身ともに健康的である。 ホルモンバランスも整い、新陳代謝も高まる。 などと、誰からでもなく教わってきた気がする。 とても多くの人が、その“健康的で正しい生活習慣”ができているかどうかを別にして、このことについて信じきっているようだし、私の“乱れた悪しき生活習慣”を心配する人も多くいることも事実である。 それは、多くの人の身体が、それぞれ我が身の体感として、“健康的で正しい生活習慣”という認識をしているのということなのだろうか。 数年前に会社員を辞めたとき、私はある程度仕事の調整をしながら、好きな時間に寝起きし、好きな時間、好きな回数ごはんを食べたり風呂に入るという実験をしたことがある。 その“健康的な正しい生活習慣”に抗う強迫観念や罪悪感をほとんど無しに。 放っておくと、私は朝方5時とか6時に就寝して昼の13時くらいに起きる、という習慣になっていた。 夜は目が冴え冴えして仕事も創作も極めてはかどったし、朝方眠るときはその心地よい疲労感を携えてこてんと眠りに落ちた。 あの頃、輝かしいやる気や鋭気に満ちていたのは、精神のちょっとした躁状態であったということはあるだろうが、それにしても身体の調子が良く、軽かったように記憶している。 ホルモンバランスも新陳代謝も良いという体感があった。 ところで会社員時代、夜そんなに遅く寝ているわけではなかったが、朝はどうしても起きるのが嫌だったし目覚めも良くなかったのも事実である。 そして今、人と暮らすようになって、腹に子どもを宿して、生活がまた大きく変わろうとしている。 私は同居人や子どものために“健康的で正しい生活習慣”にするつもりはあまりないのだが、いかようにしても身体が重たく辛く思えるので、ここらでまた生活習慣を変更する実験でもしようかと思っている。 身体が重たく辛いのは、単純に膨らむ重りが腹にあるからであるが、変化に変化が積み重なっていくスピードに私の心と身体が不随意にはついていかないので、ここは一度意志の力を行使してみたい。 自分自身の多くのことについて不随意なものに従うことを良しとするばかりに、意志の力を蔑ろにしている感じが最近とても強く自認していてそれに辟易としていたということもある。 例えば、夜11時に寝て朝5時に起きる。 例えば、朝湯船をはって風呂に入る。 例えば、朝散歩をする。 例えば、昼寝をしない。 例えば、夜スマートフォンを見ずに読書をする。 昨夜、夜11時にベッドに入ってみた。 眠気はあるが眠れずにスマートフォンでネットサーフィンをしながら1時くらいには寝ただろうか。 7時過ぎに目が覚めてごろごろと二度寝三度寝をしているともはや11時である。 しかし意志による作戦にあっけなく敗れたのではなく、上の、例えば、を文章にして考えたのは今の今なので今朝の段階では意志の力は行使していない状況と言っても良い。 今晩からやってみるか、どうか。 決めると苦しいので、決めたくないのが私の性である。 ただ、今の私には何か大きな生活実験の必要性があるようには思っている。 ちなみに、かえるくんは夕方5時~8時くらいの間が私の体感として最も活発に動いている。 腹を眺めているだけで、ぼこっと隆起するのが分かるほどである。 胎児は30分おきくらいに寝起きしていると言われているが、胎内にいて概日リズムがないということもないだろう。 私とは別のリズムなのだろうが、その限りなく無垢なリズムに、産まれてから立ち会えるのは楽しみでもあり不安でもある。 最近、やはり腰が痛いのと動悸がするのとで全然思うように歩けない。 ひいひいふうふう、おなか、ぱんぱん。 昨日の歩数は思いがけずも13000歩。 ディックブルーナの0歳と2歳の絵本を買い足した。 かえるくんには別に中古で買う予定である。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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