日々が転がるように過ぎていくと感じるのは、結婚披露宴の準備が進んでいないからである。
私がやりたいと言ったのだが、こういった多方面に関わる催し物の主催になることは本当に本当に骨が折れる。 招待状の文面やら宛名書きやらウェルカムボードやら席次表やら席札やら何やら、自分でやろうと思えば自分でできてしまう。 というより本職なので譲れない部分なのである。 しかし、それが今や恐ろしい重荷となって日々の私の頭を擡げている。 では印刷にすれば良いではないか、と簡単に自問的に囁かれるのだが、すぐにもうひとりの自分にノーと言われてしまう。 まあひとつひとつこなしていくしかないのだが、言い訳のひとつとしてはやはり妊婦であることが挙げられる。 非妊時よりも異様に眠いのと疲れやすいのと。 やることが山積すればするほど、期日までのカウントダウンから目を背けて明日やろう明日やろうと、言い訳ばかりを積み上げるのは、夏休みの宿題を溜めこむ小学生のようである。 ちなみに私は夏休みの宿題は7月には終わっているような小学生だったと記憶しているが。 一方で、妊娠していない通常の時でも私はよく寝るし、これでもかというほどに怠惰である。 お腹も大きくなってきている今、それを簡単に妊娠のせいにできることを良いことに逃げ回っているが、単純な私の怠惰力かもしれないと思うと驚きに値する。 いやまあ、妊娠とは異なる人間生命体を同一の身体の中で育んでいるという異常事態なので、やはり体調は通常時のものではないとしておこう。 ところで先日の妊婦健診では前置胎盤であるとの話をされた。 前置胎盤とは、通常子宮の中に胎盤が作られる際子宮の上側に付くのだが、なぜだか子宮口に胎盤が被ってしまっている、あるいはかかってしまっている状態のことを言うらしい。 原因はいろいろ言われるところもあるが事実上不明。 子宮が拡大するとともに胎盤の位置も上がってくる可能性があり、妊娠7,8か月頃まで最終的な診断はできないとのこと。 子宮口は赤ちゃんの出口であるわけなので、胎盤がそこにある場合は出てこられず帝王切開となるのが常のようだ。 子宮口に近く胎盤に圧力がかかりやすいため、胎盤が剥がれやすく大出血なんてリスクもある、というのは病院を出てインターネットで調べたことである。 胎盤が剥がれてしまうと無論胎児に酸素や栄養が行き届かないため、母子ともに危険な状態になる。 もしこのまま胎盤が動かないとなると、帝王切開の前に安静入院になる可能性さえあるらしい。 けいこにこのことを話すと、治ると良いと思うけど帝王切開なら予定が立っていいね!と返ってきた。 私自身このことで特別気落ちしているということもないのだが、けいこのこれは空元気の励ましなのだろうか。 おばあちゃんとして手伝いに行かねばならぬ身として出産をやきもきして待つよりもきっちり予定が組めた方がありがたい、と単純に言っているような気もする。 ふと自分が妊娠しているという事態に改めて驚愕し不思議に眩暈することがある。 なぜ古くなった私の身体から、新しいものが産まれ得るのだろうか。 父親と母親の精子と卵子がある程度老化していても、その受精卵そして赤ちゃんの細胞は新鮮さを極めている。 親の役目は受精させるところまでで、あとは父親とも母親とも違う個別の新しい細胞群に子宮という成長のための部屋を貸し出しているというようなことなのだろう。 母体の酸素や栄養が直接提供されるわけだからその新しい細胞群に影響がないわけではもちろんないが、その存在が個別であることは細胞の新しさからして明らかであるだろう。 そろそろお腹の子どもに向かって話しかけてみたりした方が良いだろうか。 誕生日のお祝いに瑞穂の豆大福をいただいた。 誰が決めたのか、群林堂、瑞穂、松島屋、というのが東京三大豆大福なのだそうだ。 群林堂の豆大福よりも、瑞穂の方が初心者向けの豆大福という感じがした。 群林堂はグーパンチを喰らわされるような豆大福で、瑞穂は拳を振りかぶって額に寸止めの冗談パンチのような豆大福。 非常にわかりづらいと思うが、どちらもパンチ力のあるずっしりしっかり重たい豆大福である。 時と気分によってどちらもとても良いが、私は瑞穂の方に現状の総合値として軍配を上げるかもしれない。 松島屋はまだなのでぜひ近いうちに食したいものだ。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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