飽きたらずまだ机を移動したり、植物をトレイに乗せてみたり、部屋いじりが止まらない。
広くなったようには感じているが、やはり座椅子がなくなったことでテレビをどこでどうやって見たら良いのか分からなくなってしまった。 分厚いシートクッションも買ったけれど、やや硬すぎるのと背もたれがないのとでくつろげない。 でも、布団を出していないときに眠たくなったらどこでも寝る。 床は痛いのだけれど寝る。 頸も腰もやられている気がするけれど寝る。 冷える日が増えてきたので電気ひざ掛けを引っ張り出した。 おひとりさま用の簡易こたつと言ったところだろうか。 とても暖かくて暖房要らず。 本物のこたつなら2週間、ホットカーペットなら1週間、電気ひざ掛けなら2,3日、私はたぶん床で連夜を明かせる。 身体は痛くなるわ干からびるわ、心底そうしたくない気持ちも満載にしながら、そうしてしまう甘美で些細な背徳感が良い。 しかしよく考えてみれば、例えばそれで体の不調を来して仕事などで誰かに迷惑をかけることがないのであれば、どこに対しての背徳感なのだかそもそもよく分からない。 そうしたくて、そうしています。と堂々と自分に納得して言ったら良いのだ。 いやでも、身体を痛めたいわけでも干からびたいわけでもない。 書のためでもあるが、冬場にこたつもホットカーペットも置かないのは床で寝ないためということもある。 電気ひざ掛けで夜を明かしてしまうかもしれない2,3日は今のところ目を瞑っている。 そう言えばとても久しぶりに服と靴を買った。 ネットショッピングと昔よく言っていた問屋のような雑多な洋服屋さんで。 そんなに高い服は買わないので合計も大した金額ではないが、複数着を新調した。 そしてまた複数着を捨てようと思ったが、2つくらいしか捨てられなかったのでクッションを一つ捨てることにした。 部屋の容量を物に占拠されるのがどうにも許せないのはどうしたものか。 買った服の中に、大きな花の刺繍が胴回りと袖にあるセーターがある。 毎日服を選ぶのは億劫だから、できるだけシンプルで着回しができるような服を買おうと思っていたのだが、ゴテゴテした刺繍やら柄が大好きなのだ。 襟元のビーズの刺繍が大のお気に入りだった服を、服としてはもう着ないから捨てようと思ったのだがビーズの部分だけがどうしても捨てられず、襟元のそこだけ切り取って今も持っていたりする。 色とりどりの宝石箱のようなものだったり、オリエンタルやエスニックな風合いの細かな作業が施されたものは何だか心を鷲掴みにされるのはずっと変わっていない。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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