もう9月の終わりである。
秋分、午後6時には日が落ちで辺りは暗がりとなる。 夏好きの私としては、夏至からすでに太陽の減りへの憂いが始まる。 頂点や絶頂というのは喜ばしさや輝かしさがある一方で、それ以上は望めないというある種の諦めや絶望や切なさを多分に含んでいるものである。 10月に入れば少し大げさに言って今年も終わりだ。 というのも、レッスンで早い人は年賀状を書き始める時期でもあるからである。 基礎を含めて、3か月間をかけた年賀状なんて今どき稀有なものだろう。 さて、最近の私は、保育園と煙草、について思い悩んでいる。 保育園と煙草、には何の脈絡も因果関係もない独立した事項であるが。 どちらも深刻に思い詰めているわけではないが、近い将来に何らかの決断を下さねばならない、私にとって比較的大きめの事案である。 保育園については、いつ入れるか。 妊娠中には、できるだけ仕事量を減らさずにすぐにでも復帰したい、子どもはどこでも育つはずだから早めに、可能なら生後2,3か月で保育園に入れようと考えていた。 四六時中赤子と一緒にいたら誰だって息が詰まるだろう、それに自分ひとりの時間だって譲りたくない、そんなふうに思っていた。 だから園の見学も2,3か所出向き、私が個人事業主だからそのための情報や資料を集めていた。 しかし困ったことに、息子との生活が現在2ヶ月が経って、息子が日増しに可愛くなっていくのである。 もうたまらなく可愛くて、愛しい。 増し増しに、てんこ盛りに、おかわり必至で、可愛い。 確かなこととして、こんなはずではなかった。 もちろん思うように寝られない動けないとか腕が痛いとか色々と大変なことはあるのだが、けいこの援助も終わった初めの頃、夫の帰宅頃にはもっとぐったりと疲れていたように思う。 最近はそれほどでもない。 これは、子どものいる生活に慣れたということもあると思うが、たぶん、息子との人間関係を日毎に養い、息子と仲良くなれてきたからなのではないかと思う。 息子の物事の認識力が上がって成長しているということもあるだろう。 そういうわけで、早々に保育園に入れることを思い直している。 と言っても今のところは、少なくとも年内に入園させるのはやめよう、という程度の決断だけれど。 ところがこの問題は、息子と一緒にいたいから保育園は先延ばしにしようということに留まらない。 私の身体もだいぶ回復し、徐々にレッスンなどの仕事も再開するにあたり、私の生業である書道をする時間がもっと欲しいのである。 自分のやりたいことをやって息子ともたっぷり一緒にいる、その贅沢を100%の形でなくとも何とか手に入れたいという問題である。 各個人が日常的に、やりたいことをやる、したいようにする、というのは私は出来うる限り我慢すべきことではないと思っている。 前にも書いたが、誰であっても自分以外の誰かのために何かをしてあげる、という言い方考え方が私は本当に嫌なので、回りまわって全く全てのことを自分のために行いたい。 たとえ語弊が生じようとも、このことについては私はそう言いたい。 それが結果的に、総合的に、自分にも周りの人のためにも最良であると考えている。 また日々は揺蕩っているものでやりたいことやしたいことはその時々で変わることも多い。 そんな不確実な暮らしの中で気の向くままにやれたら良いけれど、さすがに赤子のいる今はそうもいかないので、やりたいことをやる時間を意図的に区切って確保する必要くらいはありそうである。 例えば、保育園に週3,4日通わせるというのも良いのかもしれない。 近くの認可外保育園では、月額料金は変わらないがそのようにしている園児もいるとのこと。 あるいは、生後6か月を過ぎれば一日4時間の一時保育をやっている区の施設を利用するのも良いかもしれない。 現在レッスン業を再開しているが、息子は極めておとなしく、生徒さんに抱かれて愛想を振りまいている。 この状態が続いてくれるのであれば、週3,4日の通園で仕事をしながら私の書道などの時間も確保し、息子との時間も保てるだろう。 色んなことに気が急いていた私だが、年内は私の息子への溺愛ぶりを自分で観察することにしようと思う。 年末頃にはまた違う気持ちになっているのかもしれない。 何事もその場に立ち会ってみなければ何とも言えないことばかりだ。 もうひとつの悩みごと、煙草についてはまた書くとしよう。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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