行こう行こう行こう行こうと思ってずっと行っていなかった鶯谷にある書道博物館に行く。
16時半で締まってしまうとなると、たとえ平日に暇をしていたとしても、その時間はもう本当に簡単に過ぎてしまう。 数年に一度のナイスタイミングが訪れたので、足を伸ばしてみることにした。 右も左も、向かいもお隣も、古そうなラブホテルばかりが立ち並ぶ一画。 工事現場の鳶職人たちが道に座って煙草をふかして談笑している。 けれど異質な感じは全然せずに、ごく普通に書道博物館は佇んでいた。 中村不折さんという書家の展示の会期。 「新宿中村屋」の字を揮毫した人であり、画家としても名高い、らしい。 書は、その世界をよく知らない人からしてみれば、おそらく「上手い」とか「下手」とかよく分からないものも多いだろうと思う。 一方で、字は皆使うものであるから、一般的にほとんど誰もが「上手い」と言わざるを得ない書もおそらく存在はする。 しかし、一般的にほとんど誰もが「上手い」と言わざるを得ない書だけが「上手い」わけでも「良い」わけでもやっぱり全然ない。 あらゆるジャンルの芸事にそれは言えると思うけれど、書の場合は食べることと同じでみんながやることだからある程度の見る目は養われてしまっている一方、一般的にほとんど誰もが「上手い」と言わざるを得ない書以外の書は受け付けられないということも多いように思う。 例えばジャズなんかは、みんなが聴いたりやったりするものではないから、面白味を知るまでに「さっぱり分からないけれどなんか良い」というふうに入る以外には、それそのものに少しでも能動的に足を突っ込まないと面白くならないものなのではないかという気がする。 私でさえ本格的に書を始めた頃と今では見る目が全然違う。 私の所属する書道団体の創始者の作品でさえ、私は入ったときには全然と言っていいほど理解ができなかったものだ。 今は本当に彼の書を尊敬しているし、抜群に上手いと思うし、好きである。 そして今だって、何かの書の良さが全然見えていないということもあるだろうし、今後知れば知るほど、やればやるほど、そういった感覚は変わっていくだろう。 もちろん、書に造詣が深くなくても、「好き」とか「好きではない」とか「なんか良い」とかそんなことで良いわけで、というかむしろ素人の虚心坦懐な目で、「何て書いてあるのかさっぱりわからないけれど、なんか良い」という領域は、言葉の意味も権威的な意味も取り除かれた書のみの何かが伝わっているということであり、それこそ「書そのものが良い」と言えるのかもしれない。 まあそのために例えば、敢えて可読性を無視したりすることもないけれども、誰か書を嗜まない人が「なんか良い」というような書を目指すべきなのだろうと思う。 以前であればきっと、中村不折の書も私はよく分からなかったと思う。 いやしかし、上手いな、と思った。 書は、「紙面を美しくする」ことであって、言ってみれば白に黒を配置していく作業だ。 中村不折の書は、その白と黒のバランス力にとても長けていて、独特でかなり強固なテクスチャーの表現力の持ち主であるように思う。 先日「プロフェッショナル 仕事の流儀」では書体、フォントを作る人の回がやっていて、とても興味深く観たけれど、肉筆の書もPCのフォントも、最低限守らねばらないないのは「文字である」というルールだ。 「あ」という文字は、例えば「い」であってはならないし「Й」であってもならないし、絶対的に「あ」である必要がある。 しかしくずし字含め、「あ」であることの範囲というのは難しいもので、「あ」は無限に存在し得る。 そんな無限の世界の中で、「紙面を美しくする」ということはやはりそれなりに難儀なことである。 しかしそれに成功し尚且つその人らしさみたいなものが滲んでいる作品というものは、「なんか良い」のであって感動するのだろう。 書道博物館の差し向かいに正岡子規庵もあって、一通り書道博物館を観終わったら行ってみようと思ったのだけれど、16時閉庵で入ることができなかった。 開庵は朝も10時半、お昼休みもあるようで、一日4.5時間しか開いていないという悠長さ。 木の扉にかけてあったパンフレットを一枚取り、コンクリートの塀に掛けられた俳句の写真を撮って鶯谷をあとにした。 展示が入れ替わるのは9月のようだから、またナイスタイミングが訪れたら行ってみようと思う。 そういえば先日、河東碧梧桐の作品集も買ったのだけれどまだ届かない。 amazonであれば当日配達もあるほどの最近の宅配サービスの充実っぷりは、5日くらい前に買ったものが届かないだけで不安にさせる。 購入サイトで状況を調べると、7~21日の入荷待ち、となっていた。 そんなにかかるのか。 ここ数日比較的いろんなことがあって、猛烈に眠たかった。 けれど低血糖になりそうなほどお腹が空いていて、思考が回らないので今までに1,2回しか食べたたことがないカロリーメイトを夕方ごろに食べて、仕事終わりにとんかつ定食を食べて帰った。 好きな食べ物を聞かれると私はいつも本当に困ってしまうのだけれど、とんかつは好きかもしれない。 でも、とんかつは誰かと共有している余裕がなく、とんかつと向き合わなければいけない類の食べ物のような気がするのでひとりで食べたい。 早春に花が咲いてから動きがなかった木瓜の木が新芽を芽吹いてきた。 梅雨の時期は植物にとってとても喜ばしいようだ。 艶めきを増しながら成長している様は、植物の勝手な自然現象なのだけれど、ありがとうと言いたくなったりもする。 ある企業様から依頼された創立10周年の告知葉書の文面を書き終える。 何かをひとつ完成品とするのに、一発でもう全然終われないのは、私の力不足もあるだろうけれど、常にそんなものだよなあとも思う。
0 コメント
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|