散歩ならぬ散輪途中に通りかかって一度通り過ぎたパン屋に逆戻りして入ってみる。
私は最近パンの話をよくしている気がする。 パンが好きなのは女性が多いような気がするけれどそれはなぜなのだろう。 一般的なイメージとして、かつ丼を喰らうのが男子的であり、パンケーキを頬張るのが女子的だろう。 女性一人できれいとは言えない定食屋でかつ丼を喰らっていたら”男性的”と言われるだろうし、男性一人でトイレの小物にまでこだわりのあるオシャレなカフェでパンケーキを頬張っていたら”女性的”と言われるだろう。 男性がパンケーキを、女性がかつ丼を、それぞれがその食べ物が好きなのに一人店内で食べづらいのだとすると自意識過剰だなと思う一方で、男性がかつ丼を、女性がパンケーキを好みがちな傾向というのはどこまで本来の性別の嗜好性が関係しているのだろうか。 オシャレが好きとか、洋物への憧れとか、甘いものが好きとか、それら自体の定義と傾向も謎であるが。 もちろん、男性の中にもパンケーキの方が圧倒的に好き、女性の中でもかつ丼の方が圧倒的に好き、ということはあるだろう。 もちろん、時と場合にもよるだろう。 私はかつ丼もパンケーキも好きだし、どちらかというと6対4くらいでかつ丼が食べたいときの方が多い気がするけれど、少なくとも一人でいる場合には、その時の個人の嗜好性を瞬時に選び取れるようになりたいものである。 悩ましいのは、誰かといるときに例えばその時の私がフルーツと生クリームがたっぷり乗ったタワーのようなふんわりパンケーキを食べたかったとして、パンケーキと希望することを一人押し問答で結果憚られて、かつ丼、と言ってしまいがちなことである。 しかもその時のタイミングでは自分でもあたかもかつ丼が食べたかったような心持ちでのかなり無自覚な選択であることが多い。 男子的であることも女子的であることもどちらだって良くて、自分的あることを望んでいるのだけれど、自分における女子的な性質を他人に対して言うときに生じるレッテルを拒否しているからそうなるのだろうと思う。 まあ、かつ丼とパンケーキは一例に過ぎないけれど、こういったことはとてもよくあるものだ。 話は戻って、そのパン屋さんに入った途端、チャコール色をしたゴールデンレトリバーのような大きな犬に吠えられた。 店主に嗜められた犬はすぐに吠えるのを止めたけれど、私は犬を飼ったことがないし特別に好きでもないので、特に怯えるでもなく近寄らないようにしようとパンを物色した。 「ごめんなさいね、すごく甘えん坊なんですよ」と店主が言うので、少し近寄ってみると、いきなりその大きな図体をこてんと横にして腹を見せてきた。 「あらら、もう見せちゃうの」と私はその犬のお腹を撫でまわした。 犬は私の手を舐めまわした。 当たり前だけれど、犬には毛がいっぱい生えていて、その毛の下はお腹は内臓が感じられる薄ピンク色をしていた。 背中側はしっかりと硬い毛が生えていて、温かなハラコを撫でている感触だった。 見つめる目は、眼球もまつ毛までがチャコール色をしていて美しかった。 随分と久しぶりに動物に触れた気がして、その重量感と質感と温かみは何だか記憶に残りそうな気がした。 「犬好きと分かるとこれなんですよ。犬嫌いの人には知らんぷりするんですけどね」という店主の言葉に私は嬉しくなった。 自分のことを「犬好き」と称したことはこれまで生きてきた中でたぶん一度もない。 警戒心がなかったから良かったのだろうと思うけれど、初対面の犬から存在を許してもらえるのは、私にしてみれば大げさでもなくちょっとした自信にもつながりそうなことだ。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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