お盆休み、では私はない。
療育はお盆休みなので、月曜午前が使える。 どこかへ行きたい、というのは時折訪れる多くの人が持つ欲望ではないかと思う。 物理的移動なしに精神的にどこかへ行くことも可能であるが、やはり物理的・地理的移動はどこかへ行きたい欲を手っ取り早く満たすことができる。 しかしながら私は、学生時代に海外旅行命!のように頻繁に動いていたら、地理的移動や素晴らしい景色で満足していない自分に気付いてしまったことがあった。 学生時代が過ぎても、フィリピンへ行ったり、オーロラを見に行ったりなど、どこに向けてか海外正義を振りかざして出かけていた。 あれは、オーストラリアのパースだった。 日本にはない変わった低木の生える砂漠地帯、広大に吹き渡る乾燥した風を浴びながら、なんだか、「これは違うぞ」と思った。 まるでロックンロールに出会ったときのように。 おそらく私は、私が思う社会通念において「海外旅行(あるいは地理的に希少な経験)」に”高い価値”を設定していたのだと思う。 特に、当時「学生時代にしかできないこと」として声高々に言われていたことの一つが海外旅行であったように思う。 私はそれを最上級に誇れるものとして、自分の行動指針に掲げていたのだろう。 わたし=バックパッカー、アイデンティティの一部としてそれを持ちたかったのだろう。 時代の変わった今、そもそも「学生時代にしかできないこと」という言葉さえ死語なのかもしれない。 オーストラリアのパースが悪いわけではない。 あの場所は、素晴らしい場所だ。 しかし外的に設定したその価値観と、内的な価値観にズレが生じていることにはたと気が付いたのだ。 ちなみに、”ロックンロール”の出会いについて説明することは時にとても困難なのだが、私の言う”ロックンロール”とは、紐解いて言えばまさにその価値観のズレとの対面である。 その意味において、パースは有難い場所とも言える。 私が”高価値なもの”と位置付けて、無理やりにアイデンティティを構成しようとしていた海外旅行は、月並みな言葉で表すのが相応しいほどに、ガラガラと音を立てて崩れてしまった。 ついでに、そもそもアイデンティティなど、自らの意思で構築するような性質のものではない。 あんなにたくさん海外旅行に行っておいてなんだが、私は「(地理的な)旅を愛する者」とは言えない。 わたし=バックパッカー、なんて到底言えない。 好きなことはひとりでもする、というのが好きなこと対するひとつの定義であろうと思う。 私はひとりで旅に出かけたことが実はほとんどないのである。 すべての海外旅行は、人は違えど連れがいた。 行き先のほとんどは連れが決めていたと言っても良い。 私は衝撃的な方向音痴なので、そもそも見知らぬ土地をひとりで歩くことにはかなりの抵抗感がある。 ましてや海外をや。 まだ未見のウユニ塩湖もマチュピチュも行ってみたいし見てみたいけれど、ひとりで時間と金をやるから行ってこいと言われても、私は確実に断る。 それくらい、ひとりで海外になんて行きたくない。 まあでも。 そうなってからの私も、どこかへ行くことは好きだし、誘われれば海外だって是非とも行きたい。 子育てやコロナなど、身動きがとりづらくなってからはよりどこかへ行きたい欲は定期的にむくむくと湧いてくる。 もはやどこでも良いから、環境を変えたい。 そういうわけで、懐古していたら長くなったが、海浜幕張に一泊してきた話を書こうと思ったのだった。 しかし長くなったので、それはまた別の機会に書くとしよう。 <YouTube> →【明治・大正時代のたのしい名前集】附・難訓姓氏辞典 奇姓珍名集「姓名の研究」荒木良造 1929年(昭和4)発行 →続【明治・大正時代のたのしい名前集】今は名づけに使えない記号「々」「〃〇ー」はなんと読む?奇姓珍名集「姓名の研究」より- <note> →【日本の数字の歴史】明治初期、アラビア数字とともに日本の数学は変わった(その3) →100も承知!?横書きのときの数字。漢数字?アラビア数字(算用数字)?
0 コメント
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|