息子が生まれてから8ヶ月が経とうとしていて、ここにきて随分疲れが溜まっていると感じるようになった。
息子は最近可愛さ増し増し、同時に明確な自我が芽生え、首も振れないし喋れないながらも以前よりもわかりやすい主張をするようになってきた。 心も成長しているのだろう、お母さんである私への好きぶりも加速度をつけている。 それは私以外の誰かほかの人に抱かれたりなどすることを拒否することを意味する。 今まで、でへでへと顔を弛めていた20代女子に対してもあまり反応が良くなくなってきた。 私は息子に好かれたくて、母だから当然とも思わずに息子を抱きしめまくっている。 全てとは行かないけど、息子が私を求める時にはできるだけ行ってやりたい。 何より息子にとって私は乳が出る存在だからというのもある、だから、乳以外の付加価値を持つべく、私は日や努力を重ねているのである。 息子は体の動きも次第にダイナミックになってきた。 相変わらず座るのはあまり好きではないようだけれど、随分と身体が起こせるようになり、猫がシャーッと威嚇しているときのようなお尻をあげたポーズをよくする。 そのうちつかまり立ちをするのではないか、今でも中腰から不意に後ろに倒れて泣く。 ひやひやと肝を冷やし続けねばならない日々はこちらが辛そうである。 そして、未だ哺乳瓶の粉ミルクを全力で拒否し続けている。 スプーンでミルクをあげてもおえっとなるか怒るかなので、哺乳瓶の乳首が嫌というよりは味が嫌なのではないかと思う。 粉ミルクはこれまでに4種類くらい試しているけれど、「粉ミルク」というものの味がダメになってしまったのだろう。 離乳食については教わった瓶詰め離乳食と、新しく購入したブレンダーによって比較的進み始めた。 しかし、まだ十分なカロリーも栄養素も離乳食では補えないので、ミルクを飲むことが必要である。 母乳はもう母子の戯れ程度にしか出ないのだ。 幾分痩せたように思うことが最大の悩みであり、そのことで私の行動も思考も日夜奔走していることが、疲れの大きな原因のひとつだろうことは確かである。 子育ては一筋縄にいかない、まあそうよねと思いながらも、痩せないで欲しい、赤ちゃんなのだから。 ミルクの問題があるので、一般的なペースだと1日に離乳食を2回のところ3回あげている。 これがまた大変である。 さくっと済ませる、レトルトや出来合いもので済ませる、どこかで食べてくる、仕事しながら食べる、友人と食事を楽しむ、1食抜いてしまう、それら全てが全くできない。 ブレンダーや瓶詰め離乳食に頼っても、準備の時間から片付けまで小一時間ほどかかる。 息子は好きそうなものでもあまりばくばくとは食べないし、ものすごく遅遅と食べているうちに食事に飽きてしまって、スプーンなどで遊び始めるか期限を損ねる。 それでも何とか、自分が映った動画等で気を引きながら、何とか食べさせていく。 最後はビチビチと飛んだどろどろのお粥などを、息子の口周りやら手やら机やら床やらを拭いて、その上酷ければ着替えまでさせる。 これが日に3回。 時折おやつの赤ちゃんせんべいもあげている。 私自身、食べるということについては未だにあまり深く行動することができず、食べる難しさを知っているつもりだから、息子には食べることを好きになってもらいたいとは思っている。 しかしながら、親の私がどうやっていいか分かりかねることを息子がやるのは難儀なことであるとも思う。 とにかく育児に対して必死さが出てきた今日この頃である。 夫がバレンタインデーのお返しに、花束を買って帰ってきた。 ホワイトデーなので、白い花束。 植物が好きな私に、事ある事に花束を買ってきてくれる。 ひと月前のバレンタインデーは、当日に最寄りのスーパーでウイスキーボンボンを買った。 そもそもチョコレートがあまり好きではない夫なので、そのウイスキーボンボンの半分以上は私が食べた。 私は誕生日やバレンタインデーやクリスマスや結婚記念日や、そんな様々なアニバーサリーについて、昔はものすごく大切に思っていた。 0時から始まるその日が大切で、何か特別でなければならない、輝かなければいけない、なんて思っていた。 人の誕生日を忘れてしまうような人のことを信じられないと思っていた。 その一方で、各種アニバーサリーを覚えられない、あっけらかんとした無頓着な人に憧れている節もあった。 そして、おみくじを引いてもその内容をすっかりさっぱり覚えていないのと同様に、いつしか、そのようなアニバーサリーの名前がついた日に、ごく普通の気持ちで過ごせるようになった。 ついには、その当日を忘れて後日思い出す、なんてこともまま起こるようになった。 息子の月齢誕生日も毎月毎月、気付くと過ぎてしまっている。 何かお祝いなどできたら良いという気持ちは無くはないのだけれども。 無頓着になったというよりは、地球や宇宙からしたら何でもない普通の日をただ普通に過ごせるようになったということである。 外的な規定ではなく、内的な動向に注視できるようになったのかもしれない。 私はこれを大変良しとしている。 花束を貰えるのは単純に嬉しい。 夫の労いも単純に嬉しい。 そしてアニバーサリーとは、何か思いを伝える照れ隠しの口実ということなら、なかなか良いものではないか。 白い花束の中に私の好きなゼラニウムが入っていた。 葉っぱをこすって嗅ぐと良い匂いがする。 息子に嗅がせてみると、顔を背けてしまった。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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