新居の生活も、まだ“新居”と呼びたいのは変わらないけれども慣れてきた。
ちょうどひと月である。 部屋が広くなったので掃除が大変かなと思っていたが、掃除のための物の置き方と言っても良いくらいの配置にしてあるので全然大変ではない。 ここのところ水拭きをしていないからというのも大きい。 使わなくなっていたクイックルワイパーのようなものでざざざーと掃除する。 来客が絶えないのでそれを毎日やっていれば特別に思い立った日以外は、特別なことをしなくても良いだろう。 そう言えば「クイックルワイパー」というのも「バンドエイド」と同じで、商品名が一般用語として市民権を得ているものに入れても良いのではと思う。 新居祝いにいもうとに掃除機を買ってもらったが、さほど出番がないのは、やはり暮らしてみないと分からないことだった。 それにしても取れる埃の量を考えると、衣服や布団やカーテンなどの布ものの質量は徐々に減っているということになるのだろうか。 でも、何百年か何万年か経ったとしても、そのもの自体が全て埃として気化(?)し、消え失せるということも考えづらい。 しかし外から持ち込んだ埃だけであんな埃の量にもならないだろう。 「家事の中で最も嫌いなものは何か」という質問というのがたまにある。 私は別にどれも好きではないし掃除は少し好きなくらいで、この質問はたまにはあるのに答えづらいなと思っていた。 しかし新居はまだきれいなので、それを保ちたいと思っていながらとても重荷なのは風呂掃除であることに気が付いた。 風呂掃除、確かに嫌いである。 ほとんど湯船にお湯を溜めない私はあまり浴槽を洗う習慣がないのだが、前の家でふと見た浴槽に埃が溜まって汚いことにびっくりしたことがある。 風呂に入るとき、コンタクトレンズをしていないのでそれは気にならないというか見えていないのだ。 たいてい洋服を着ている状態で風呂掃除をやるものだから、濡れたくない一心で届く範囲しか磨かない。 それでも自分の生活圏がきれいであれば差し支えはない。 だが、新居のまだぴかぴかの浴槽を埃や水垢がこびりついていってしまうのは何だかもったいない。 そんな話をしていたとき、ある人が、シャワーを浴びているときに一緒に風呂掃除をしてしまう、と言っていた。 普通のことなのかもしれないし、考えて考え当たらないこともなかろうに、考えたことがなかった。 早速その日、洗剤とスポンジを持ち込んでぶくぶくと風呂も私も洗った。 いつもより一段と身体まできれいになった気分で風呂を出た。 なるほど、こうすれば良い。 だけれども、その後そのサイクルがなかなか掴めず、風呂場に入る前に洗剤を持ち込むのを忘れてしまう、あぁ風呂掃除しないとなあとまたやや重荷を背負っている気分が解かれない。 掃除セットを浴室に置いておけば良いのだが、外観が良くないという自分だけの埃ほどの美意識が邪魔をしてそれをする気になれない。 それで風呂が汚れていくのなら、その美意識とは何者かを説明し直す必要も出てくるのだが。 あと、ウォーターサーバーのある生活を経験してみたく、色々検討の末、お湯が出るのでコーヒーがすぐに飲めることが決め手となって導入したのだが、思いの外水がなくなるのが早くて驚いている。 女性のひとり暮らしだとコーヒーやら常飲の水として飲んでひと月で2本、20リットルくらいですかね、と説明を受けたのだが全然足りない。 大げさでもなく、倍以上のペースで消費している。 ウォーターサーバーの水で米を炊いているわけでも野菜を似ているわけでもないのに。 私は女性平均よりもそんなに水を多く必要とする個体だったのか。 その理由はすぐに思い当たったのだが、私が女性平均よりも水分摂取量が圧倒的に多いのではなく、圧倒的に家にいる時間が長いということだ。 会社にいたころ、ウォーターサーバーの水をがばがば飲んでいたし、コーヒーも何度も淹れていたことを思い出すと頷ける。 会社員の頃よりも倍以上は家にいるのだから普通のことだったのだ。 追加の水も頼めるのだが、それは定期便配送まで待つことにして、結局水道水を沸かしてコーヒーを淹れている日々である。 電気ケトルは引っ越しの際に捨ててしまった。 もうひとつ、ひと月経って改善したいと思うところは、書道部屋の壁一面をマグネットボードにしたいということだ。 棒状のスチール版を貼り付けて作品を壁に貼って見られるようにしているのだが、これも全然足りていない。 DIYは苦手だけれど、自分でやっても何とかなるようなことだろう。 これは毎年恒例の話だが、花粉が辛い。 新しい街の散策はもう少しおあずけである。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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