展覧会友達に、中園孔二さんという画家の展示に誘われて六本木まで出向く。
私は中園孔二さんを存じ上げなかったので、予習をすべくGoogleで検索をして彼にまつわる特集や彼の絵の画像を見ながら電車に乗っていた。 電車の中で、わーーー、と思った。 久しぶりに、この時点では、あぁーすごく好き、という言葉以外に出てこなかった。 ウィキペディアすら存在しないけれど、ほぼ日の糸井さんが拾い上げていたようで、彼を見出したギャラリストの小山登美夫さんの話が載っていた。 読み進めてみると、なんと、彼は私よりも若く、もうすでにこの世にはいない人であった。 夭折の芸術家はたくさんいると思うが、彼もまたその一人であったようだ。 勢いに任せて、展示会に着く前に彼の画集をアマゾンで注文した。 到着は入荷後の5月24日頃となっており、これから展示会という気分も手伝って、待ち遠しくて待てない気持ちでいっぱいになった。 ご一緒した友人は彼の影響で現代アートの世界に足を踏み入れたそうで、とてもとても中園さんが好きらしい。 とてもとても好きなものが同じ、ということはちょっとしたひねくれたライバル心を生んでしまうことも私の場合はあるのだが、今回はなんだか嬉しかった。 六本木に着き、足早に展示会場に向かうと、友人はすでにギャラリーの前で待っていた。 国立新美術館以外の六本木に来るのはかなり久しぶりで、コロナの影響か、街にまったく活気がなくなった印象があった。 銀座はキラキラ、六本木はギラギラ、私はどちらも肌に合わないのだが、どちらの街もかつて持っていたきらめきやぎらつきを失ってしまったようだ。 ギャラリーの受付に行くと、つい先ほどアマゾンで注文した画集が売られていた。 5月24日まで待てないと思っていたところだったので、すぐさま注文をキャンセルして、受付で画集を手に入れた。 嬉しい。 中園さんの本物の絵をどきどきしながら観る。 すべての絵が無題(Untitled)であり、何の説明書きもない。 もちろんあの画家の雰囲気がところどころする、というのはあるのだが、それでも彼の絵は「今までに見たことがない」といった雰囲気が勝っていた。 所謂社会批判や風刺の要素は少なく、中園さんの個人的なことが描かれているように感じた。 展示場では若い時に亡くなった彼の、若かりし頃のインタビュー動画が流されていた。 線の細い、繊細で優しそうな若者だった。 彼の絵がもっともっと観たいけれど、もういない。 彼はよく一人で森の中に入っていくことがあったらしいが、亡くなった日は一人で海に入っていったようだ。 真相は誰も知り得ないけれど、そのまま地球に飲み込まれてそのまま地球の一部になったのかもしれない。 書にしかできないことがあると思うけれど、絵にしかできないこともある。 音楽にしかでできないこともある。 絵も音楽も、私の憧れである。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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