このブログに載せている書は、Facebookの書のグループの毎日のお題である。
毎日持ち回りで翌日のお題が出され、それを当日午前中までにグループにアップするという決まりになっている。 と言っても、大人のサークルなので、毎日やるのも、たまにやるのも、見るだけなのも全くOKである。 現在200人以上の会員がおり、ほぼ毎日稼働しているのは50~60人くらいだろうか。 私はこのサークルに入れてもらってから、全国に書の友人ができ、また私の書創作の力も随分と鍛えられたと思う。 毎日創作するということはまあ結構大変なものである。 また、実際に飲み会に参加したり、遠方旅行のついでに会いに行ったり、個人的に連絡を取り合ったり、ほとんど一匹狼だった私がそんな貴重なコミュニケーションを持つことができた場所であり、SNSの恩恵を多分に享受させてもらっている。 私は始めて5年ほどだと思うが、創立からもうすぐで10年なのだそうだ。 三島の男性と、奈良の女性が、「毎日同じお題を書いてアップしたら面白いですね」という思いつきで始まったようだ。 最初のお題は「凛」。 毎年創立記念日になると「凛」というお題がなされる習わしになっている。 先日、突然に、創立者のひとりの三島の男性が亡くなった。 突然に、と言っても、ふた月ほど前から入院中とのことは耳にしていた。 持病のヘルニアが悪化したと思っていたら白血病の疑いがあり即時入院しました、というご連絡から、突然の訃報だった。 悪性リンパ腫の合併症とのことだった。 メンバーは皆騒然とし、お悔やみのメッセージを投稿した。 私はしばらく固まってしまった。 本当のところは何にも分からないけれど、ただただ無念だっただろうと思うといたたまれない。 実はこの創立者は、以前私が文通をしていた92歳のじいさまの息子さんである。 「おやじと仲良くしてくれてありがとう!君は若いけれどしっかりしているとおやじも言っているよ。」なんて言ってくださって、彼は手紙は書かなかったけれど、メッセンジャーでよくやりとりをした。 去年の11月、じいさまが亡くなったときは、私の最後の手紙は読むことが出来なかったから棺桶に入れましたと、皆より先にご丁寧に連絡をくださった。 息子と同い年のお孫さんがいて、この夏には三人目のお孫さんが産まれる予定だった。 父を亡くしている私に、何かのくだりで、「何かあれば三島の父がしゃしゃり出ます!」という冗談を、私は心の奥底でとても温かく思い、ほんの少しだけ本気にしていた。 コロナが流行る少し前、息子を連れて夫と三人で西伊豆に旅行に行ったのだが、もしタイミングが合えばお会いできませんか、と連絡をしていた。 まあでもとても急な連絡だったので、仕事の都合がつかず、今度必ず!と言っていたのは、もう今度は二度と来なくなってしまった。 まだそのときはじいさまも生きていた。 一般的に若くして死ぬと、なぜなのだろうと考えてしまうが、それは理由があるのかないのか分からない。 神様仏様がいるとかいないとか、私にとってはどちらでもよい。 ただその人は死んでしまったので、もう会えないし、もうコミュニケーションできないのである。 一度も会ったことがない人の死に、こんなにも打ちひしがれたのは初めてである。 生きている私の納得において、いつか三島に行きたい。 会いたかったなあ、なんて悠長なことを言い漏らしそうである。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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