また宛名書きの仕事をいただいて、マイケルジャクソンとかミスチルとかゲスの極み乙女とか「Songs for Japan」のアルバムを聴きながら黙々もくもくと書く。
宛名書きの仕事を始める前は、まず手を洗う、そしてよく乾かす。 とにかく濡らしてはダメなので、飲んでいたコーヒーを片づけて、風呂上がりで髪が濡れている場合には乾かす。 私の手は常に乾燥しがちなので良いけれど、手が湿りやすいタイプの人は宛名書きなどをするときは少し厄介だろうと思う。 あとは、寝起きや運動後や飲酒後もやってはいけない。 筋肉に信号が滑らかに伝わらなかったり、微妙に震えたり揺れたりは、宛名書きのような緻密な作業に持ち込んではいけない。 この前のものは封筒だったけれど、今回はハガキなので、フォントのサイズが小さくなければいけない。 少しだけ小筆の感触と墨の具合を確かめて書き始める。 筆ペンで書いても仕事上特に問題は起こらないだろうけれど、やはり墨で書いた方が文字に厚みや立体感や漆黒の艶が出たりして仕上がりが良い。 レッスン時に私がとても良く言うことだけれど、字を上手く書く、ということは、字一字が上手くなったところであまり意味がない。 真っ直ぐ書くこと、文字の配置・レイアウト、それぞれの文字の大きさのバランス、上下左右・行間・字間の余白、一字における太細や線の長短のメリハリ、要は全体のバランス力が問われる。 白と黒でできている世界をどう作っていくのか。 最近私のお気に入りの言い方としては、全ては「紙面を美しくする」ということの中にある。 紙面上良い、それはかっちりとした楷書体であっても流れるような草書体であっても、よく分からない創作文字であっても求められることだ。 またこれは、書道を嗜む人に限った話ではなくて、例えば会社で付箋に書く電話メモであっても全く同じことである。 無論、「読める字」のメモで良いのであれば、メモの受け取り側が正しく情報が伝達できて折り返しの電話などさえできれば、記号としての字の機能は果たされているわけなのでそれはそれで良い。 字が上手い必要など本当は全然ない。 それでは納得がいかない、という場合に、そんな「読める字が書ける自分」以上の自分を求めていこうではないか、ということが私は言いたい。 あと、字を書くことがただただ面白味がありますよ、ということも言いたい。 まあ同じようなことを前にも書いたけれども、これは一応書道家の私としてのHP内のブログであるから寧ろこのような内容は増やしていった方が良いくらいなのかもしれない。 68枚程度書いたところで早くも首筋と二の腕がぎしぎしである。 依頼者と一緒に記念切手を貼って68枚を机に並べると、切手の美しさもあって私は密かに一抹の感動を抱いた。 苦労したからとかそういうことではなくて、印刷やシールで筆文字フォントを使っても良いものを肉筆で書いて、ずらり並べられたその様がなんだかきれいだったのだ。 しかしまだ依頼枚数の半分にも届いていない。 昨日食べた鱧の湯引きがとても美味しかった。 切れ目が入って丸まった鱧に、味にも色にも棘のない美しい梅のソースをつけて食べると、茹で具合や締め具合が絶妙な温さで、すべてが調和した。 熱くて美味しい、とは一線を画す、温くて美味しい。 温い、というのはあまり良いイメージで使われない言葉だけれど、食べ物において絶妙に温いことが美味しさを完成させることがある。 茹でて氷水で締めていない豚しゃぶとか、夏の常温のトマトとか、冷めかけ焼売とか、そんなに数多く思い浮かばないけれど。 鱧は店の看板メニューのようで、店主はしばしば、刃渡りの長い包丁で鱧にざっざっと小気味よい音を立てていた。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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