産まれて初めて、人生初の。
まだまだそんな接頭辞が何でもついてしまう息子だが、昨日は人生で初めての美容院に出向いた。 息子は同月齢の子と比べると髪が比較的生えている方だと思うので、本当はもっと早く切るべきだったのだろうが、ここはやはり母が書道家ということで、胎毛筆を作るべく長くなるのを待っていた。 目に髪がかかってしまうので、最近はもっぱらちょんまげに結んでいた。 彼のちょんまげは、頭の上にぴよっと一本細い筋が立っていてなんとも可愛らしかった。 しかし何せ私は美容院にはこだわりがないし、行きつけもない。 まして子どもを散髪するのはやはり子どもに慣れているところでないと無理だろう。 そんなわけで検索をして、同じくらいの子どもを持つブロガーの方が行ったというところに決めた。 親と一緒に椅子に座って、専用の二人羽織のようなケープを一緒にかぶれるということが決め手だった。 あとは、1歳は1,000円、というのももちろん魅力的である。 家から徒歩60分。 歩きたい我が家では、その上こんなにも散歩に適した季節なので、もちろん歩いて行った。 普段まったく散歩コースで行かない方面というのも良い。 いつもと違う街並みを歩けるのは、それだけで楽しいものである。 予約は16時半。 休日の息子はだいたいお昼ごはんを食べて13時か14時くらいから昼寝をするのだが、もう少し頑張って起きていてもらい、15時くらいに家を出る。 暖かい格好をさせてベビーカーに乗せて、10分くらい経ったところで、ばたっと後ろに倒れてきて何かと思ったら寝ていた。 してやったり、作戦成功である。 目的地の美容院には予約時間よりも少し早く着いたので、店の周りをぐるぐるして息子が起きるのを待つ。 起き抜けでは機嫌が心配である。 しかしなかなか起きないので店の前に行ってスタンバイをすると、店員さんが気付いてくれて挨拶をしていると息子はようやく昼寝から目を覚ました。 美容院はやけに白くて明るくて、息子は目をしぱしぱさせながらやや驚いていた。 病院のようにも思えるし、何せ美容院というところが何をするところなのか知らない彼はしばし固まっていた。 いよいよ断髪か、と私は新しい息子に出会えることにワクワクしていた。 簡単に筆の相談して、いざカット。 ハサミや霧吹きに目を奪われて首を動かすのでなかなか思うようには進まないが、思ったよりは全然静かに座っていた。 記念の意味合いと、息子の気を引き付けるために、インカメラにしたiPhoneのビデオを回す。 ざくざくとざんぎり頭になっていく。 毛先の細い、あのふにゃりとした髪がなくなっていく。 そして何より、息子のフォルムが変わってゆく。 最後バリカンのところで少し泣いたけれど、概ね大人しく大変よくできました、といった感じである。 しかしそれはそうと、私は変わってしまった息子の姿にふつふつと沸く切なさを感じていた。 すっかり日の落ちた秋の夕方、帰りは電車に乗る。 その前に見つけたパン屋で、食パンとこしあんぱんとしろあんぱんを買って食べた。 帰路の途中も、帰宅後も、当たり前なのだが、息子は変わっていない。 よちよち歩いて、まんまんまんまんキャーキャーと叫び、隙あらばいたずらをしたがる。 表情も変わっていない。 髪が短くなっただけだ。 そう、そうなのだが、何だか泣きたいほどに切なさがあふれ出てくる。 おそらく、赤ちゃんとしての息子が一部が失われてしまったことによるものだろうと思う。 あかちゃんの独特の愛くるしさを、私は息子の髪のみに見ていたわけではなかろうに、やはり見た目の支配というのは大きなものなのかもしれない。 切らなければよかった、ということでもないし、ずっとずっと赤ちゃんでいてほしい、ということでもない。 それはどちらも困るし、逆に大いに心配である。 いつか変わってしまうと信じているから、失うことが惜しいのである。 これからもこんな気持ちにたくさんなるのだろう。 赤ちゃんという服を一枚脱いだような息子は、今日も変わらず、朝ごはんを食べて保育園に行った。 今日も変わらず、世界の探検である。 ひと月後に筆が届く。 実際に使う人はほとんどいないのではないかと思うが、2本作ったので、1本は使おうと思う。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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