哺乳ストライキ、という言葉があるらしい。
その意は、赤ちゃんの何らかの主張でおっぱいを突然飲まなくなること。 昨日、またまたよく寝る日の息子だったのだが、18時におっぱいを飲んでから、19時半にあげようとしても20時にあげようとしても21時にあげようとしても泣いて飲まない、という事態に陥った。 最初はまだいらないのかな、と思っていたが、これまで起きている間は1時間~1時間半ごとくらいにおっぱいをあげていたので次第に不安になる。 22時でも乳首を口に突っ込もうとすると嫌がって泣き、首を振っているかのように見えた。 息子の身体的には水分もおっぱいからしか摂っていないわけだから脱水にならないだろうか、というのがもっぱらの懸念である。 それもそうなのだが、私からすれば、おっぱいを飲んでくれないということは思いの外とてもショックな出来事であった。 初めての事態に立ち会ったとき、自分がどう感じるか、何を思うか、というのはそれに立ち会う前の時点において楽しみでもある。 自分を必要以上に規定することなく、なるべく手放しの生々しい感情を知りたいと私は思っている。 初めての事態に対して予測や期待をしてしまうものだけれど、本当はそれらも全くせずにただその場の自分の反応や感情だけを見ていたい。 自分観察に余念がない、大げさでなく、生き方としてそうあるべきだと思っている。 自然発生的に思ってしまうこと、は変えられないので、それがどんなに社会的世間的におかしなことであったとしてもまず自分自身を受け入れる覚悟はできているつもりだ。 それを外に向かって言ったり行動したりするかは別の話だけれど。 私は妊娠中、自分の子どものことを可愛いと思えるだろうか、とうっすらと心配していた。 まあでも、もし子育てにうんざりしてしまっても、誰かや制度に頼りながら私は私のできる範囲でやろうと楽観的に考えていた。 そして、息子は息子の人生なのだから、必要な世話だけしたら早くに心身自立してほしい、そんなふうに願っていた。 これは今でも継続的にそう思っている、というか、私の思考上の理想ではそう思いたい。 しかしながら産まれてみて現在の私は本当に息子にぞっこんである。 こんなに可愛くて仕方がないなんて状態に自分がなるなんて、私が一番想像していなかった。 少なくとも今は離れたくないし、息子に私のことを好きでいてもらいたい。 だから哺乳ストライキで私がショックを受け、悲しくなってしまうのは予測範囲内とも言える。 しかし、当たり前なのだが、実際にそれに立ち会い実際に悲しい、という思いをすることはただ悲しいほかない。 ネット上に書かれている哺乳ストライキの理由などをいろいろとあてはめて考えてみるが、よく分からない。 気温が急に下がって寒くて身体が冷えてしまった違和感や不快感で食欲が無かったのだろうか、というのが私と夫の何となくの着地点であったわけだが、絶賛大成長中の息子の身体は恐ろしいスピードで細胞分裂などしているのだろうから、突然の違和感や不快が生じても何ら不思議なことではない。 このままおっぱいを飲んでくれなくなったら、お酒は飲めるようになるし身体の自由は広がるのかもしれないけれど、それは嫌なのである。 最も嫌なのは、息子に私のおっぱいを拒否されるそのこと自体である。 おっぱいに対してそっぽ向かれても、私のことを嫌いになったというわけではないだろうけれど、おっぱいは本当に文字通り私の血を分け与えているえもいわれぬ不思議な連帯感があるので、おっぱいを拒否されると私自身が拒否をされたような気分になってしまうのだ。 友人の子どもたちの話を聞いても、男の子も女の子も皆おっぱいが大好きというし、おっぱいという存在はどうにもすごいのである。 やばいとかすごいとか、それしか言いようのないときしか使いたくないのだが、おっぱいについてはすごいと言って良いものだろう。 おっぱいってすごいのだ。 鳥類やら両生類やらと違って、哺乳類、と生物のカテゴライズの名称になってしまうほどすごいのだ。 そのおっぱいを自分の息子が嫌がるなんて、信じたくない。 哺乳ストライキの説明には、生後2,3か月の時点ではこのまま飲まなくなることは稀で、長い場合でも1週間程度でまたおっぱいを飲んでくれるようになると書かれていた。 息子はまだ言葉を話さないので、表情や仕草などでコミュニケーションを取るしかない。 その夜、ストライキ中の息子はなんだかいつもより不機嫌でいつもと違う様子だった。 子どもにだっていろいろ事情がある、どんと構えていれば良い、という自分自身への言い聞かせと慰めをしながら、私は平静を装っていた。 とりあえず今はおっぱいは諦めてお風呂に入れ、さて就寝前の授乳を0時くらいに再度試みるとする。 22時にストライキ最中の息子に飲んでもらえなかった岩のようなおっぱいから搾乳をして、以前からの冷凍母乳がたくさん溜まっているので流しに捨てていた。 私の白い血は、シンクに白い筋を作りながら流れていった。 そんな切なさを抱えて数時間のストライキ、いつまで続くのか。 お腹空いた、よね?と私は恐る恐る、まだ悲しい気持ちを引きずりながら息子をおっぱいのところに持っていった。 6時間ぶりのおっぱいである。 息子は、吸い付き激しくおっぱいをごきゅごきゅと飲んだ。 片方ではもちろん足りず、もう片方もごきゅごきゅと飲んだ。 大きなげっぷをして、息子はすぐに寝た。 翌朝、また少し飲んでもらえないのではないかと思いながら息子をおっぱいに運ぶ。 ごきゅごきゅと勢いよく飲んだ。 初の哺乳ストライキは終焉を迎えたようだ。 いろいろ起こる。 いろいろ変わっていく。 いろいろいろいろ、ある。 いくら生々しい感情を味わいたいと言っても、良くない方向にドキドキしたりするのが好きなわけではない。 もっと懐深く構えていたいものだけれど、一つひとつ経験値を積んでいくしかないだろう。 あぁ良かった良かったと息子に頬ずりする。 息子は私のことを嫌いになったとか好きになったとかそういうことでは全然なさそうに、今は出すものを出したいのだとうんうんとうなっている。 粛々と毎日書は書いているが、さながら妊娠出産育児ブログになっている。 まあでも、大学生の頃に始めたブログ「勿忘草」の延長のこのブログだ、好きに書いていくほかない。 息子が可愛い、可愛くてたまらない。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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