企業でやらせてもらった講演のようなセミナーのようなワークショップのような「書道のはなし」も満員御礼で終えることができた。
「お字書き道TALKS」がうまくいっているかは別の指標があるとしても、このような、「文字を教える」という従来型のレッスン以外の仕事ができたのはお字書き道TALKSの活動の賜物と言っていい。 YouTube番組の書道家インタビューも年内の収録を終えた。 ちなみに次のインタビューゲストは、30年以上早稲田大学のお抱え書家であった渡部大語氏である。 渡部大語氏は、「平成〇〇年度早稲田大学入学式」とか「健康診断会場」とか「卒業証書」とか「〇〇講演会」などのあらゆる人目につく文字を書いていたという人物。 私はその頃、本当に残念ながら書道に目覚めておらず、渡部大語氏の文字をうっすらとしか覚えていない。 しかし、記憶の片隅には確かに堂々たる看板が焼き付いている。 インタビューは前編、後編に分けて二回。 前編は12月29日(金)20時に公開。 あとイレギュラーのお仕事と言えば、年末のいけばなとのワークショップ、仕事の年賀状揮毫くらいだろうか。 まだまだ気忙しい。 月曜日は療育の日。 ここ2,3週は療育教室で暴れている息子である。 何をするにも反対のことを言う、とにかく指示に従いたくない、やらないという選択肢の発見、という幼児における盛大な反抗期を迎えている。 保育園でも多少その気を見せているようだが、保育園では一人のわがままが通るはずもなく、縦割りクラスで大きな子たちもいるので、おそらくそんなに利かん坊にはなっていない。 どちらかと言えば大人しく、あまり皆と絡まずに過ごしているだろう。 しかし、療育教室では先生が1対1でついてくれるし、先生方は絶対に大きな声を出したり怒ったりもしない。 おそらくそのことも息子は分かっていると思う。 手を洗う時の台を反対向きにしたい、椅子にちゃんと座らない、床を這って進む、「よろしくおねがいします」と言われたら「よろしくおねがいしますじゃない」と言う、アンパンマンのばらばらになった体をくっつけるパズルでは頭を下に置いたりなど。 ちなみにこれまで何か月も意欲的に、楽しそうに取り組んでいた。 療育に通い始めて約1年ほどとなり、彼はあの場にようやく慣れてきたのだと思う。 そして、僕にどれだけかまってくれるのか、先生たちを試しているのかもしれない。 何せ、家でもこんなに酷い態度を取っていないのだから。 私も少し離れた場所から見ているのだが、これは何か対応策というよりはこのかまってブームが過ぎ去るのを耐えて待つしか方法がないように思う。 もちろん療育の先生方はプロなのでお任せするが、さすがの先生方も何だかしびれを切らしているようにも見える。 事前に説明、納得をさせれば上手くいくこともあるので、日曜の夜には寝る前に小声で翌日のスケジュールをお話しすることにはしてみている。 2,3か月で変わってくるのではないだろうか。 ところで、寒い。 でも、今年の夏が昨日、やっと、やっと終わった気がした。 夏の居残り、居座り、私は夏が好きだけれど、さすがにちょっとこの寒さに安心している。 <YouTube> ⇒造字聖人!文字は誰が作ったの? ⇒世界の国々の漢字表記クイズ! <note> ⇒子どもの作品、せっかくだからオシャレに飾ってみる ⇒手書き年賀状の書き方【表面(宛名書き編)】 ⇒2024年辰(龍)年!年賀状サンプル一挙公開!(2023/12/19 19時公開)
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w夫が何かの試験で不在にしているので、息子とふたり、家の中で過ごしている。
彼の胃腸の調子があまり良くないので家でゆっくりと思ったが、特段不調を感じていない息子が「大人の思う家でゆっくり」なんて過ごせるはずもない。 それでも午前中はゴロゴロゴロゴロ転がりながら、時に飛行機ごっこをしながら、スマホとタブレットを一台ずつ持ってやり過ごした。 子どもが幼い今しかない可愛くて愛おしくて貴い時間。 そう思うときもあるけれど、そう思えないときもある。 お散歩に行くと言うのでおもちゃを片付けてと言うと、あぁだこうだとなかなか進まない。 やっとの思いでひと区画自分で片付けてくれたので、あとはまあいいかと思って出かけようとしたところ、ジョブレーバーという分解できるトミカのようなおもちゃを私が膝でグリっと踏んでしまった。 とても痛く、あざになってしまったので、ジョブレーバーも片付けて!と痛みに任せた怒りを散らすと、息子は心配してくれつつもへそを曲げてしまった。 そのまま膠着状態なので、私はしばらくぶりのブログでも書くことにした。 息子はへそ曲がりのフェーズから上着のボタンを閉めるフェーズにすっかり移行していて、ボタン閉めに集中している。 「おかあさんこれさいごの」ととことこやってきたので上着を見ると、一番上のボタンだけ閉められなかったようだ。 それwを私が閉めてあげると、私の気持ちがほどけた。 息子の素肌は気持ちよく、それに触れると安らぐのはいつものことだ。 最近の彼は、今までもそうだったけれど、以前にまして指示に従うことを嫌う。 少しでも指示へ反抗したいらしく、ジョブレーバーをいつもとは違う引き出しにしまいはじめた。 まあいいか。 ふたりでビックカメラに行くらしい。 まあいか。 最近のトピックと言えば、相変わらずヤフオクにずぶずぶと回遊していることと、アレクサを迎え入れたことだ。 それはまた書こう。 <YouTube> コレが読めたらスゴイ!外来語の漢字表記クイズ!-#055 世界の国々の漢字表記クイズ!-#056 <note> 現役書道家プロファイルVol.5【うどよし】 かつ丼チェーン「かつや」の「つ」の点は何? 告知させていただいていた池袋の「書道のはなし」は15名満席となった。
本当に有難い、文字通り有難い話である。 至極月並みな話だが、自分だけの呼びかけるのではなく、企業を後ろ盾として、販促をしてくれるというのはすごいことだと改めて思った。 よくクリエイター関連の仕事で活躍していたサラリーマンが独立して、会社の名前が使えなくなって仕事が全く来なくなったという話があると思うが、私はそもそも会社員時代クリエイターではなかったのでそのような思いをしたことはなかった。 独立後も細々と自分でやってきたので、会社という信用や販促力にそこまであやかったことがあまりない。 もちろん、無いわけでもないのだが。 ひとりでやることの力の無さや孤独さや淋しさは、引き換え自由時間という名で返ってくる。 自由時間はハッピーな面が多くあるけれども、実際のところ、多ければ良いわけでも、少なければ良いわけでもない。 結局何事もバランスという言葉に尽きてしまうわけだけれど。 ひとつのイベントをその都度輪郭作りから始めて一から集客するのは骨が折れるので、やはり仕組化が必要だろう。 何だか過渡期と感じるこの頃だ。 さて、不意にMISIAのコンサートチケットが舞い込んできた。 というのは正しくないかもしれない。 夫の友人が1枚余ってしまったチケットがあると夫に連絡をしてきたのだが、その友人は私も顔見知りということもあって、「私が行きます!!!」とチケットを奪い取ったのだ。 MISIAに熱を上げたことがどのくらいあるか、おそらくだが、夫よりかはあると思う。 よく分からない熱意で夫を説得し、夫も納得した。と思う。 さいたまスーパーアリーナは行ったことが無かったけれど、結構遠いなと思った。 東京ドームのような雰囲気だけれど、ドームよりは狭い印象。 1,2,3階席があって、2階席の最も後ろのあたり。 広いコンサート会場は、本人を生で見るというよりは映し出された映像を見ることになる。 ごくごく単純な感想としては、彼女の歌唱力や体力に度肝を抜かれた。 デビュー曲を聞いていた高校生の頃よりも確実に声量は上がっていて、それを延々と出し続けられる体力がある。 歌がずば抜けて上手くてアスリートのようである、それが彼女を表する言葉として相応しい。 しかしその表し方では足りない何かがある。 最近はあまり行ってないが、私もこれまで数々の音楽ライブに行ってきた。 でも、MISIAのライブは初めての感覚があったのだ。 今あてられる言葉で言えば、彼女は”神様”のような存在だということだ。 これまで実物を生で観てきた有名人たちは私生活を何となく想像することができる。 ご飯を食べ、歯を磨いて、しょうもない話もする。 どんなにパフォーマンスが優れていても、ひとりの普通の人間で、間抜けな行動や誤った行動などもするイメージが付く。 彼らは魔法使いではなく、”人間”であることが垣間見え、想像することができる。 MISIAにはそれが無いのだ。 どこかのタワーマンションに住んでいる絵も、タクシーに乗っている絵も、歯を磨いている絵も、歌を練習している絵も、どうにも浮かばない。 歌以外に少しMCとして喋っていたけれど、それでも浮かばない。 話していた事柄も、浮き世に降りてきた神様のような話だった。 紅白歌合戦の取りを務めたり、いつかのオリンピックで国家を歌うなど、もはや仕事としても”神様”の偉業だ。 コンサートの帰り道、MISIAのWikipediaを見たけれど、難民支援などにも積極的であるということを読んで”神様”である思いはさらに高まった。 一切のスキャンダルも起こさず、精神を健康にし、身体を健康にし、一切の遅刻もせず、加齢を経て歌唱力は高まり。 考えれば考えるほどに”神様”の偉業だという気がした。 バズーカ砲のような彼女の歌唱は聞き手としてやや体力を使ったけれど、それでもこんな初めての気持ちにさせてくれてありがとうと思った。 「陽の当たる場所」も「Everything」も、20年以上前の懐メロで、私も年を取ったものだ。 しかし、MISIAの方が年上なので、もはや何が何やら、だ。 <YouTube> 【読める?】アジア、アフリカの数字!【世界の数字⑤最終回】-#053 誰でも応募可能!2024年夏、手書き文字で賞金30万円を狙え!【書道家うどよしインタビュー後編】 -#054 <note> 現役書道家プロファイルVol.5【うどよし】 月曜日は息子の療育の日で、えっちらおっちら、直線距離はさほど遠くもない交通の便の悪い療育教室へと向かう。
行き方は、電車を2回乗り換えていく方法と、バスの終着駅から10分歩く方法の2通りがある。 所要時間はどっちもどっちで、ならば安い方とバスに軍配を上げつつも、10分の徒歩時間を最悪は全部抱っこして歩くことになるので、やはりどちらが良いわけでもない。 私は療育を、無料で受けられる個別の専門家の手厚い習い事、と思っている。 と言うと、語弊がある気もするけれど、でもまあ、そんな感じだ。 コミュニケーションにおいては、待つこと、相手の言うことを聞くこと、相手に主張すること、集団で学ぶということ、などを主に訓練する。 個人的な能力の面では、簡単なパズルを行ったり、線路を組んでみたり、形のみで何かを想像してみたり、積み木を積んだり、ボーリングをしたり、工作をしたり。 幼稚園・保育園で行うのとほとんど同じ内容を、個別の特性をよく理解してもらった上で繰り返し行ってもらう。 先生方は決して怒ったりしないどころか、大きな声を出すことも一切ない。 刺激に敏感な子たちが多いので、なるべくローテンションで、注意するときも大きくない声で話す。 先生方は皆、臨床心理士又は公認心理士の資格、あるいはそのどちらも所有している。 大学院を修了しないと得られない資格のはずなので、時間と労力とお金をかけてその仕事に就いているということだ。 何事も基本的には、専門分野は専門家にお任せするのが吉だと思う。 学力や資格のみが全てを決めるとは思わないけれど、あらゆる専門という知識の厚みをなめてはいけない。 だから、私は時々意見は言うものの、療育の方針は先生方にお任せしている。 それは、療育へ通う当初より、私自身が息子に対して限度を超えて困っているという思いを持っていないからだとも言える。 今日、いつも月曜日に来ている男の子の親御さんと不意に話をした。 お子さんと全くのペアルックをされていたので、私が「かわいいですね」と言ったところから会話が始まった。 療育に通っているくらいなので、お互いの悩みはある程度想像がつく。 療育に通っていない人と話をするよりも随分話が早いだろうという感触はお互いに持っている。 集団で話が聞けない、多動で困っている、そんな話をそのお母さんは滔々と話し始めた。 お母さんと生き物はいつだって、子育てに関する会話に飢えている。 たぶんそれは多かれ少なかれどのお母さんもそうだろうと思う。 漏れず私もそうだ。 発達障害において、次のようなことはよく言われることだ。 集団で話が聞けない、じっとしていられない、言うことをきかない、思い通りにならないと癇癪を起こす、急に走り出す・・・ 私はいつも思うのだが、これは子どもという生き物全体の特徴なのではないのか。 元気な子どもの成長の証なのではないのだろうか。 もちろんその度合について問題視しているということはあろうけど、それでも。 しかしながら、親当事者にとってみれば、そういったことが毎日こちらの都合の一切を鑑みずに起こると、疲弊してしまうことがあるだろう。 多動のお子さんを見ているのは、24時間命を守ることに徹するガードマンを行うということだ。 四六時中肝を冷やし、瞬時に動ける体制を取り、いざとなったら力づくで制止する。 ただの一度も、車とぶつかるようなことがあっては決してならない。 誇張ではなく、本気でそれをしないと子どもは本当に死んでしまうかもしれない。 あるとき、そのお母さんは、子どもに手をあげてしまったと言う。 それで、もうだめだと思って福祉課に連絡を取ったそうだ。 思わず、泣きそうになった。 私は息子にかろうじて手をあげたことはないが、それは比較的慎重な息子の元々の性質によるものだし、そんな息子に対してもカッとなったことはこれまで100回以上ある。 他人のことだがそのお母さんに対し、さぞ辛かったろう、と思った。 少子化の昨今、行政の子ども支援は手厚くなっているとは思うが、それでも孤独なお母さんは沢山たくさんいると思う。 それは発達障害というような括りが無い場合にも、だ。 なんだかんだと時は過ぎ、なんだかんだと子どもは大きくなるものだとも思う一方で、日々の、現場の、その辛さが軽減していくと良いのになあと思う。 <YouTube> 【読める?】アジア、アフリカの数字!【世界の数字⑤最終回】-#053 誰でも応募可能!2024年夏、手書き文字で賞金30万円を狙え!【書道家うどよしインタビュー後編】 -#054 <note> 2023年12月2日(土)13~15時@池袋にて「書道のはなし」 手書き年賀状の書き方【表面(宛名書き編)】 私の読書難については何度も書いたことがあるが、私は読書が苦手である。
全く読めないというわけではないし、うっすらとなら人と本の話ができなくもないのだが、本当に本を読むという行為が下手なのである。 本は、嫌い、とも、好きではない、とも言いたくない、だって私は本好きになりたい、でも限りなく程遠い。 色々と試してきたが、もはや私は本好きの人生は諦めようと思っていた矢先、人からオーディブルを勧められた。 Amazonの聞く読書、オーディブル。 「読む」のではなく、「聞く」。 「聞く読書」とは言え、もはや「読書」という行為の範囲を超えているかもしれない。 2,3週間ほど前に30日間無料トライアルを始めて、平日はほとんど聞かない日はない。 と言っても、1日に聞く時間は平均して1時間もないくらいだと思う。 それでも、私にとって本という存在はいつもハードカバーよりも分厚い皮が被っているわけで、どういう形であれ”読み”進められるのは有難い。 手始めに、村上春樹「職業としての小説家」、続いてオーディブルを勧めた知人のおすすめ「営業の魔法」、続いて「サピエンス全史」を読んでいる(聞いている)。 皮切りに村上春樹のエッセイを選んだのは、彼のエッセイに私は結構信頼を持っているからだ。 「走ることについて語るときに僕の語ること」というエッセイは文字通り読んだことがあって、とても感心した記憶がある。 彼の小説も3,4冊くらいは読んだことがあるのだが、小説よりも読みやすい。 村上春樹に限らず、もとより、私は小説というものが苦手なのかもしれない。 エッセイにおける彼のものの見方や言い方は、過不足が無いように思える。 的確に物事を捉え、できるだけ誇張したり謙遜したりせずに、事実にちょっと格好つけておしゃれに伝えている、そんな感じがする。 オーディブル一番最初に聞く本は肝心だ。 もし最初に聞いた本が最後まで聞き通せなかったら、私はオーディブルという期待の星を深く知る前にいとも容易く手放してしまうことになるだろう。 期待通り、「職業としての小説家」を楽しく面白く、8、9時間かけて聞き通すことができた。 出だし好調!!と「サピエンス全史」の上巻も全部聞いた。 ところが。 そこから、もはや2週間ほど経つのだが、ぱったりと聞いていない。 イヤホンを持って出るのを忘れたり、何だか慌ただしくてそんな気分になれなかったり。 一度聞かなくなると、何だか手出しするのさえ億劫になってくる。 もう無料期間が過ぎてきっと課金されてしまっているだろうに。 オーディブルは聞くものなので、本を持つ必要もなく、何か作業をしながらということが可能だ。 しかし、片手間で聞いていて理解できるほど本の内容は容易いものではない。 大抵歩いているときに聞いているが、買い物も電車でさえも、意識が外界に持っていかれるとすぐに話が飛んでいっていまう。 調子よく聞いているときは止まらない一定の流れが有難いが、集中が途切れるとどんどんと濁流が目の前を通り過ぎていくだけになってしまう。 音声のみで漢字を見ていないので分からない単語も出てくるが、都度止めるのもリズムが狂う。 一方で、YouTubeなどでラジオ形式のものを聞くのは、私の至福の時間のひとつである。 面白そうな対談などを聞きながら、書の臨書をする。 創作は考えることも多いので、臨書が良い。 その対談の内容はまばらに頭に入ってくる程度だ。 この時間にオーディブルを聞こうとは思えない。 本には余白がないからだと思う。 まず、そもそも「聞かせる」ためにできていないからだと思う。 それでも、読まないよりも良いと思う。 私の本への取り組みは、その根が枯れかけているのに根深い。 「サピエンス全史」の下巻から再度始めようか。 <YouTube> ⇒【数字シリーズ③】江戸時代頃の数字あれこれ。「アレ」の聖地甲子園の語源-#051 ⇒【世界の数字】ローマ数字/ギリシャ数字/アラビア数字/インド数字【パイ株?/数字④】#052 ⇒アジア、アフリカの数字!【世界の数字⑤】-#053 <note> 【漢字創成の神話】蒼頡(推定紀元前2510年~紀元前2448年) 手書き年賀状の書き方【表面(宛名書き編)】 とある企業の施設で、講話?ワークショップ?のようなものをやらせてもらえることになりました。
これはその告知です。 お字書き道TALKSの活動が功を奏して、私もそれなりに知識が増え、お話スキルも付いてきた?のでお声がけいただいた企画です。 書道に興味が無い方でも大歓迎、どなたでもご参加いただけます。 基本的には書道の話をしますが、歴史雑学的な話から、書道における現代アートの立ち位置という比較的ポップなお話まで持っていきます。 ※お話の内容自体は去年私の生徒さん向けに懇親会込みで行ったものとほぼ同じです。 二部は年賀状のサンプルを見ながら、みんなであれこれお話をしたいと思っています。 筆ペン1本プレゼントですが、書きたくない方はまったく書かなくて大丈夫です。 十数人程度の小規模なものなので、ぜひお気軽なお気持ちで話を聞きに来てくださったら嬉しいです。 お申し込みは上のQRコードからも出来ますが、私へのダイレクトメッセージでも構いません。 普段はあまり耳にすることのない、それなりに面白い内容をお話ができると思いますので、お申込みお待ちしております! 夫がとても珍しくヨーロッパへ1週間出張へと出て行き、同じころ自宅マンションの配管工事が始まった。
専有部分の3か所、風呂、台所、トイレに通っている建管を物理的に新調するというかなり大掛かりな工事。 住んでいるマンションはかなり古く、各所で水漏れ等が起きており、満を持してマンション全体で工事へと舵を切った。 と言っても、全戸に承諾を取り、全戸に入室する工事なので、管理組合の理事会や管理会社はさぞかし大変だっただろうと思う。 建管の通っている箇所の壁をぶち壊し、パイプを切り、新しいパイプに接続し、壁を閉め、壁紙を貼る、という一連の工程を部屋の三か所で行った。 トイレを外し、洗面台を外し、クローゼットのものを全部出し・・・うちは相当物の少ない家だと思うが、物の多い家では倍以上に大変な作業量だろう。 もちろん、工事期間中は日中は排水制限となり、水が使えない。 マンションの敷地内に仮設トイレが設置された。 私は仮設トイレというものに良いイメージがなく、昔のいわゆるぼっとん便所のようなものを想像していた。 できるだけ行きたくないと思っていたが、そういうわけにもいかず恐る恐るトイレに向かってみると、なんと普通の温水シャワー付きの温かい便座のトイレであった。 掘っ立て小屋のような仮造りで薄暗くはあるけれど、快適なトイレだ。 今は地方の道の駅などの公衆トイレも随分ときれいで立派なものが多い。 子どもの頃、臭くて汚くて暗くて震え上がるようなトイレが多かった。 トイレもひと世代前進して、完全に時代が進んだようだ。 1週間も夫がいないので、けいこを助っ人として前々から予約していた。 けいこには孫が何人もいてひっぱりだこであることに加え、彼女は多趣味なので日ごろから何かと忙しく予約が必要だ。 今回も随分と世話になった。 今日、私は本当は前橋に行く予定だったのだが、雨でその予定が流れたため、けいこが観たいと言った「ゴジラ-1.0」を観に行くことにした。 なんでもけいこの故郷の海が映像で使われているらしい。 私は基本的に映画館に行く習慣はなく、臨場感が必要そうなアクションもので、人から誘われれば行く程度だ。 決して、今上映している「月」などを大スクリーンで見たいとは思わない。 日常はスマホにイヤホンで映画を観ている。 私はゴジラについて、どでかい怪物が街を襲う、というくらいのイメージしか持ち合わせていなかった。 「シンゴジラ」は観たが、痛快な映画だったような気がするというくらいの印象である。 今回、「ゴジラ-1.0」を観て、完全なる戦争映画であることがよく分かった。 ゴジラ70周年の今作は、1954年の特撮怪獣映画『ゴジラ』のリバイバル版である。 映画ならではの現実味のない作戦や行動はさておき、単純にとても面白く観た。 人間の根源的な戦いへの欲望や敬意、憎悪の連鎖、逃げた者や奇しくも生き延びた者の個人的な苦悩、そして決して終わらない戦争。 ゴジラは人間の感情を持たないが、あらゆる人間の憎悪の権化、象徴なのだろう。 原作の『ゴジラ』とほぼ同じ内容であるかは知らないが、あの映画が戦後10年も経たない間に作られたと言うのは興味深い。 復興の最中、反戦を大きく掲げながらも、描いているものは決してそれだけではないように思えた。 映画では、終戦を迎えても多大な苦悩を持ち続けている人たちの「俺の戦争」も主題のうちのひとつだ。 私の世代は、戦争を実際の体験者から生の声を聴くことができた最後の世代だと思う。 しかしながら、その話を聞いた頃は幼すぎて、少なくとも私はあまり実感をもって聞けていなかった。 けいこの世代は、親が戦争体験者なので、私よりもずっと戦争というものが体感としてあるようで、けいこは映画の最後のあたりは少し泣いていた。 映画は誰かと一緒に行って鑑賞後の感想を言い合いのも良いのだが、隣で泣かれるのはなんだか困る。 ぜひ、映画館へとおすすめしたい映画だ。 <YouTube> 【数字シリーズ③】江戸時代頃の数字あれこれ。「アレ」の聖地甲子園の語源 【数字シリーズ②】日本の数字の歴史。古代~平安時代まで! 【書道家対談シリーズ「うどよし」さん】テレビ出演多数、ユニクロコラボ!読める書道の追求 <note> ⇒「八万三千八」なんて読む?漢数字、和歌の世界。 ⇒【漢字創成の神話】蒼頡(推定紀元前2510年~紀元前2448年) 兄が来ている。
私には兄がふたりいて、私は双子の姉妹で、4人きょうだいである。 今回来ているのは下の兄、親からすれば次男。 彼は独身なのだが、子どもが好きで、息子とよく遊んでくれる。 自分が子どもを持ってみてわかるのは、こどもはとっても大変だということ。 色んな子がいるとして、それでも皆、大変だ。 子どもの心の面でも、学力的な面でも、大きくなってからの仕事の面でも、そして家族皆の経済的な面でも、親は心配をしている。 そんなのが4人もいるだなんて、恐ろしいことだ。 たぶん、どんな家庭にも、一時は誰にも言えないようなことがあるのではないかと思う。 時を経て、悩みとして打ち明けたり、事が済んでから思い出話として話すことはあるだろうけれど、渦中にいるときは決して人に言えないようなことが。 どんな類の話だろうと、あるのではないだろうか。 子どもの数だけ、幸せも増えるのかもしれないし、困難も増えるのかもしれない。 子どもはひとりの人間であり、総じてコントロールできるものでは毛頭ない。 最近観た動画で、哲学者の東浩紀さんが「子どもはコミュニティの異物、突然入ってきたよそ者」というようなことを言っていたが、それにはとても納得した。 大人が、夫婦が、物事を進めるに際し、ある程度秩序だった人間同士が下す決断において少なからず「同意」が存在する一方で、子どもは全く同意なしに入ってきて、さらに確たる同意などを本人が下せる状況にもない。 人間のコミュニティは常に、同意のない他者の存在によって、突き動かされたりするものだ。 家族は大切、家族は一番、そういった社会通念の中で、家族構成の重要な一要素である子どもだけは、その家族になることを本人が同意して入ってくるわけではない。 もちろん親側にとってもそれは言えるかもしれない。 親ガチャ、子ガチャ、なんて言葉はそういった意味合いだろう。 私は家族というものを盲目には見ていないつもりで、家族だから大切、家族だから一番、とは思っていない。 だからと言って、家族は大切ではない、というわけでは毛頭ない。 しかしながら、家族が一番ではない、というのはそうかもしれない。 子どもがいる家族、きょうだいがいる家族、という不意の産物コミュニティと、多くの人は最も幼い時期を最も近く過ごす。 当然ながら愛着が生まれたり、憎悪が生まれたりするだろう。 この不意の産物コミュニティが時間を経て、構成員の皆がその不意であることさえも忘れて、寄り添ったり寄りかかったり寄りかかられたりする。 いつだって、良かったり、悪かったりするだろう。 子どもがいない家族関係、きょうだいのいない家族関係、というのは単純な個々人の”同意”だけで成り立つことが多いと思う。 例えば、子どもがいない夫婦、の関係は見ていて落ち着きが感じられることが多い。 その関係において「不意」であることがほとんどないからだと思う。 互いの同意がそこにあるからだと思う。 私が敬愛寵愛する「きのう何食べた?」というドラマが非常に愛おしいのは、二人の同意によってのみ成り立っている関係であり、加えていわゆる普通の男女愛でない稀有さを二人がとてもよく分かっているからだろう。 いつだって、良かったり、悪かったりする。 子どもがいても、良かったり、悪かったりする。 きょうだいがいても、良かったり、悪かったりする。 家族的な不意、の良さももちろんある。 <YouTube> 【数字シリーズ②】日本の数字の歴史。古代~平安時代まで!#049 【書道家対談シリーズ「うどよし」さん】テレビ出演多数、ユニクロコラボ!読める書道の追求-#050 <note> 【閲覧注意】書道用紙に住む小さな虫の話 「八万三千八」なんて読む?漢数字、和歌の世界。 17時5分前に息子を保育園に迎えに行く。
私を見つけると犬みたいに駆け寄ってくるので、犬みたいな息子をわしわしと撫でる。 保育士さんから今日の様子を少し伺って、園のタブレット端末で降園の打刻をし、汚れ物などを回収して帰路につく。 ここ数日は少し公園に寄って行くのだが、もはや10月中旬の17時は夕暮れ時だ。 みるみるうちに暗くなる。 保育園の隣にある公園なので、同じ保育園の子たちが遊んでいる。 未だママ友らしいママ友が一人もいない私であるが、お母さん方と立ち話をするのは結構案外好きである。 皆近所のお母さん方なのでこの地域の情報源でもある。 日暮れまで遠い夏ならなかなか帰るきっかけがつかめないのだが、暗いのは遊びづらいらしく案外すんなりと帰る気になってくれる。 抱っこしてと言われれば抱っこをして帰る。 もう4歳になる子どもを抱っこしていると、いもうとからもけいこからも、近所のおばさんからも「あらぁそんな大きい子が抱っこ?」と言われることがあるが、私は自分が疲れていなければ積極的に抱っこしたい。 抱っこしているときは、顔と顔が近くにあって存分に息子にすりすりすることができるし、会話もゼロ距離ですることができる。 息子が抱っこしてと言わなくなるまで、私の体がもつまで、抱っこしたいと思っている。 息子を連れて自宅マンションまで帰り、玄関で靴下とズボンを脱がせる。 砂がたくさん付いていて汚いからだ。 息子の靴下はもういっちょ前に臭い。 靴下はそのまま風呂場に放り込んでおく。 汚れ物を洗濯機に入れて、水筒などを荷物から出す。 バスタブなどに風呂用洗剤スプレーをして、少し時間をおく間に夕ご飯の下ごしらえをする。 途中で風呂の洗剤を洗い流し、そのまま風呂を沸かす。 また夕ご飯の準備に戻る。 今日の息子のご飯は通称「おにくごはん」。 ひき肉と玉ねぎと人参とえのきを、和風や中華風に、醤油とみりんで煮込む。 超絶偏食の息子は、ブロッコリーを入れても食べてくれないし、キャベツなんてもってのほかだし、玉ねぎの切り方が少し大きいだけで食べてくれないこともあった。 みじん切りは面倒なので最近「ぶんぶんチョッパー」という手動みじん切り機を買った。 材料を入れて何度か紐をひっぱるとみじん切りになるというもの。 息子も張り切って引っ張ってくれる。 具材と調味料を全部入れて、浅煮込みになる頃、風呂が沸く。 火を止めて、息子を風呂に連れて行く。 すんなり入ってくれるときもあればそうでないときもある。 この夏の猛暑で、帰宅後すぐ風呂、という習慣が付いた。 元々はご飯を食べてから風呂という習慣だったが、風呂が先の方が気持ちが軽くて良い。 風呂から上がって息子を保湿したり、薬を塗ったり。 昔との子育ての違い多々あると思うが、この保湿の工程は結構当たり前になっているのではないかと思う。 そのおかげもあって、昔、30年前よりも、子どもの肌は皆きれいな気がする。 すっきりして、息子のご飯。 給食をあまり食べてないらしく全然体重が増えないので、夕ご飯は食べるものをたくさん食べさせるようにしている。 栄養バランスなどと言っている場合ではないし、あまり気にしていないが、脚気や壊血病になってはいけないので、おにくごはんは頼みの綱である。 息子はご飯を終えて、タブレットを見たりプラレールで遊んだり。 そのうちに夫が帰ってきて風呂に入るので、今度は大人の夕ご飯を準備する。 私は、本当に、本当に、簡単で手間と時間のかからないものしか作らない。 夫が風呂から上がったら、大人も夕ご飯。 私はお酒を飲みつつ、時々動画の編集等をしたり、スマホで映画などを観たり。 大体22時ごろに寝る。 そういう平日の毎日。 <YouTube> 【数字シリーズ①】中国古代文字から楷書体まで!#48 <note> $(ドル)は漢字でどう書く?通貨単位や国名の漢字表記まとめ 昔、何かを刷新したくて2日に1回ほど書いていたブログを止めたことがあった。
しかしそうすることができず、1週間もしないうちに再開した。 止めていた1週間は、ブログを書きたくてたまらないという気持ちに満ちた1週間だった。 日々の些細なこと、書いてでもおかなければもう全く消えてしまうようなこと。 それらを書き溜めておくことは記憶の貯蔵庫的にも安心だった。 しかし私は今10日間ブログをかかなかったところで、10日経ったときにそれに気づく。 その原因は子育てをしていることによる時間のなさと、お字書き道TALKSのnoteを書いているということが主な理由だろうと思う。 息子との日々は、ゆっくり集中して文章を書く時間があるならば毎日書き留めたいとも思う。 しかし実際には息子が保育園に行っている間は、仕事をしたり書作をしたり家事をしたりとブログにまであまり時間が回らない。 前回更新から10日ほど経って、ホームページを化石化してはならない!などと思い立って何かを書き始める。 もう一つの理由、noteの執筆。 PCでカタカタ何か文章を書く、そのこと自体が私は好きなのだと思う。 何かを書くことによって消化される何か、その”何か”が好きなのだろう。 ある種の欲求がnote執筆により消費されてしまって、ブログを書くまで至れない、というのも比較的大きな理由のように思う。 ちなみに今は、保育園へ送る前の朝の時間。 note記事を少し手直しするためにPCを開いたので、ついでに少し時間があるのでこれを書いている。 息子はタブレットで動画を観ている。 最近のトピックと言えばオーディブルの無料体験をやっていることだろうか。 読書という行為に本当に長年苦手意識を持つ私の輝かしい救世主となるのだろうか。 オーディブルとは、Amazonが提供する、本を俳優さんたちが読み上げしてくれるサービスのことである。 しかし1冊聞くのに、1.2倍速、1.5倍速でも7,8時間かかる。 長編小説ならもっとだ。 実際に自分で黙読しても時間はさほど変わらないだろうけれど。 オーディブルの体験談はまた次回書くとしたい。 もう保育園登園の時間である。 <YouTube> ⇒SNSアイコンを花押にする!?現代の大臣もみんな持っているオリジナルマーク【花押の歴史4】 ⇒【数字シリーズ①】中国古代文字から楷書体まで!(13日(金)20時更新) <note> ⇒外来語をどう書く?カタカナで書かれるようになったのは意外と最近 ⇒外来単位の漢字!(メートル法VSヤード・ポンド法とか) あぁもうすき家でひとり牛めしを食べるのが幸せな日常があって、グアムの鮮度は失われてしまった。
これまで引っ越し回数が多めな私だが、なぜかいつも近所にはすき家があって、半年に1回ほど「今日はすき家だ!」と思う日が訪れて牛めしを食べる。 普通のにしておけば良いのに、昨日は何だかおろしポン酢牛めしなるものにしてしまった。 薄紅色の紅ショウガをたっぷり乗せて、七味もたっぷりかけて。 ランチセットの味噌汁とサラダを付けたら700円という値段だった。 すき家に行くのに700円は高いと思ってしまうのだが、今や日本は世界でもかなりの物価安国ではないかと思われる。 しかも、美味しくて、清潔で、安全で、席について食べられる。 加えて円安ドル高の今、外国人はもっともっと日本に来たら良いのにと切に思う。 牛めしセット700円、グアムで同じものを食べたらたぶん12ドルくらいだと思われる。 両替手数料を入れて1ドル150円とすると、1800円。 驚愕の値段、驚安ではなく、驚高。 グアムやハワイやシンガポールに最近出かけてきたという話を聞くと、皆口をそろえて「高かった!!!」と言う。 家族3人で、フードコートのようなところで朝食を食べるだけで5~6000円、マクドナルドで5000円、ハワイのつるとんたん28000円、なんて話も耳にした。 グアムの記録としては、 ホテル内のレストランで、ローストビーフ、ビーフステーキとラムチョップ、フライドポテトに瓶ビール大瓶3本で230ドルほど、およそ34500円。 現地のファミレスのようなレストランでチーズバーガーセット15ドル、2250円。 タイ料理屋で4品とビール6本くらいで130ドル、19500円。 空港内のペプシ600mlは4.5ドル、675円。 サンドイッチ2袋、水ペットボトル500mlを3本で40ドル、6000円。 ハーゲンダッツ1カップ4.5ドル、675円。 ホテルの洗濯機1回2ドル、350円、乾燥機別。 一つひとつの食事の量は多いので量的には満足であるが、頭の中で1.5をかけて一瞬戸惑ってしまうくらいの金額である。 だんだんこの値段感に慣れてくるのだが、ふと日本でこれを食べたら何円か、と考えてしまうと辛くなる。 もちろんスーパーなどではもっと安いけれど、これが日常だったら困る、という感じだった。 日本語が通じるほどのグアムでは、日本の商品も数多く売られていた。 輸入品だから高い、というのは分かるけれど、それをも超越した値段でもあった。 S&Bのとろけるカレールウ8皿分、5.79ドル、約870円(日本なら200円もしない) 赤いきつね、緑のたぬきカップ麺、3.99ドル、約600円(日本では150円くらいか) クッキーのようなカンパン、5.69ドル、約850円(日本では200円もしないだろう) MARIEビスケット箱、3.29ドル、約495円(日本では250円くらいか) また、島内は電車がなく、観光客向けのバスで移動をしたが、ひと乗りで5ドル(750円)。 最初「5$」という表記を「5¢」と見間違えて、「さすがに公共交通機関は安い!でもまあそのくらいだよね!」となった。 5セントは7.5円くらいで、よく考えればそんな金額でバスが乗れるはずもないのだが、「多くの外国は日本より物価が安い」という感覚が骨の髄において自分の身体に染みていることに気が付いた。 そういうつもりはないのだが、そんな傲り高ぶったような嫌気のさすような思いがした。 夫の妹さんが支払いをまとめてくれていて、その請求はまだであるが、旅の実感からさらに遠のいたころ、再度目をむくことになるだろう。 安い!美味い!キレイ!安全!質が良い!と日本はもっと売り出したら良いのにとやはり思う。 グアムはいくつもの意味で”簡単な”海外であり、事実そうであった。 色んな意味で簡単であり、居心地が良かった。 今回海外に行ってこのタイミングで日本との違いを知ることができて良かったと思う。 こんがり日焼けも物価高も、総じて良好な旅であった。 <YouTube> 【書道家対談シリーズ④(後編)】「FNS歌謡祭」「僕らの音楽」「SMAP×SMAP」の秘話から書道家転身まで!板谷栄司with鯖大寺鯖次朗 <note> 外来単位の漢字!(メートル法VSヤード・ポンド法とか) さてそれで。
今は帰りの飛行機の中で、息子は体力を使い切って早々に寝てくれた。 行きの飛行機よりは多少人が多いが、それでも乗車率50パーセントも行かないくらい。 息子はフルフラットで寝ている。 グアムの空港に到着してからここまで、書けるだけ書いてみよう。 到着は現地時間の15時半頃。 時差1時間、日本より1時間進んでいる。 昔のように時計を自分で進めなくても、iPhoneは自動的に正しい時刻を表示してくれる。 まあ今だってアナログ腕時計などは自分で調整が必要だろうけど。 日本は世界の中でも日付的に時間が早い方の国だと思うが、もっと時間が早い方の国に来たのはもしかすると初めてかもしれない。 世界の中でかなり早く年が明けるトンガとは時差はどれくらいだろう。 WiFiは調達せず、auのサービスで海外でも使えるように事前に予約をしておいた。 48時間で1300円くらいだったろうか。 空港に降り立ってタラップの中を通るとき、現地の気温や空気感にわっと触れてわあっと思うことは、旅行の気分を昂らせる。 グアムは南の国、湿度も気温も高い。 わあっと思ったが、負けじと暑かった日本の夏と比較するとさほど差がないように思えた。 入国には大人は指紋登録が必要でなかなか時間を要したが、無事に入国。 ホテルへの乗り合い送迎車に乗って、星野リゾートリゾナーレグアム、へ。 車窓を眺めて、どんな所かをざっと観察する。 緑が多く、道が広い。 島国という意味では沖縄の石垣島のような雰囲気もあるけれど、もっとリゾートホテルばかりの感じ。 高い建物のほとんどはリゾートホテルだろう。 グアムは日本語が通じる、と何人かのグアム経験者から聞いていたが、看板も日本語が散見される。 送迎のバスの運転手もカタコトだがほとんど日本語を喋っている。 雰囲気としてはやや寂れた印象だ。 それは日々潮風に当たり、毎年大台風にやられているからという理由だけでは済まないような。 多くのホテルやブランドの看板が、一文字取れていたり電気が点いていなかったり。 「BVLGARI」は「BVLGAR」だった。 修理中というわけでも無さそうで、まあこのままで良いか、という雰囲気。 こういった観光地はコロナの影響を全面的に受けたであろうが、それが原因かどうかは分からない。 星野リゾートは何年か前までオンワードの持ち物だったらしいが、星野リゾート初めての海外拠点として買い取ったようだ。 2023年4月開業。 コロナが明けて満を持して、というところだろう。 街の中心部とは少し離れた場所にあり、空港から、ヒルトン、リーガロイヤルホテル、ハイアットリージェンシーなどの名だたるホテルを通過して着いた。 グアム島は淡路島ほどの大きさ、それは東京都の大きさの4分の1ほどだ。 途中、廃墟になっているリゾートホテルもいくつか見受けられた。 ホテルは古くて広かった。 古くて大きい、という意味ではヒルトンもリーガロイヤルホテルもハイアットリージェンシーもそうである。 大きくはない島であるが、人口超密集地の東京が住まいの私からすれば、一つひとつのサイズがゆったりしていて、土地はもう存分に有り余っているように見えた。 星野リゾートリゾナーレグアムは、贅を尽くした感じでは全くなく、簡素な雰囲気。 昔のままの内装と思われる。 エレベーター3基のうち2基は故障中。 ウェルカムドリンクは、オレンジが入った水、キュウリとメロンが入った水がそれぞれセルフで飲めるようになっていた。 部屋の扉もカードキーではあるが、年季が入っている。 部屋に入るなり、独特のキツめの香料の匂いがした。 星野リゾートはアメニティなど充実しているイメージだが、かなり簡素。 日本のホテルに慣れてパジャマを持ってこなかったが無かったので、翌日の洋服で寝ることに。 アメニティで最も良いものは子ども用の歯ブラシで、マンタが描かれた肉厚なものだった。 ベランダはラタンのテーブルとイスが置いてあったが、ベランダの柵が簡易的なので、息子の万一の事故を防ぐためにベランダに出ることを諦めた。 一度だけ、夫に息子を連れ出してもらって、濡れた水着を乾かすためにベランダに出たのだが、数時間経っても水着はずっしりと濡れていた。 さすがに万年高湿度の島である。 地下にコインランドリーがあり、洗濯や乾燥機を有料で使うことができる。 日本のホテルだと無料で使えたり、洗剤等も置いてあることが多い気がするが、そういったものは全て自前の用意が必要だった。 グアムの街並みやホテルや全体の雰囲気は、ひと口に言って「平成初期の懐かしい感じ」だ。 昔イケイケだった頃の時代が止まってそのまま30年経過した、そんな感じ。 表参道のメイン通りのような高級ブティック街もあるのだが、それさえもどこか懐かしい思いが湧いた。 Hard Rock Cafe があったが、それが何とも似合うような感じ。 しかし、ほとんどの店は夜8時か9時に閉まってしまうので、お酒で盛り上がっている光景というのは見かけず、ランニングの人が多い治安の良い街と言えるだろう。 デニーズやサークルKや出光のガソリンスタンドなどの建物のデザインも古めかしいままだ。 また宿泊していたホテルの地下に小さなゲームセンターと卓球場があったのだが、まさに島全体が昔のゲームセンターのような趣き。 原色のカラフルなカプセルがあったり、大きめのぬいぐるみのUFOキャッチャーがあったり、大きなピストルでやるシューティングゲームがあったり。 息子が思ったよりも早く目覚めたので、ここまで。 続きが書けると良いが、どうだろう。 もはや昼寝をしない息子のプラレールがガーガー走る我が家の夏休み最終日である。 プールと日焼け、物価の話を書きたい。 〈YouTube〉 織田信長のマーク!麒麟の花押に太平の世を願った【花押の歴史3】 - お字書き道TALKS #045 〈note〉 現役書道家プロファイルVol.4【板谷栄司 with 鯖大寺鯖次朗】 何年ぶりの海外旅行だろうか。
いま、雲の上である。 コロナが流行して、もはや海外に行く日は来るのだろうか、と思ったりしたこともあったと思うが、その気持ちも鮮明には思い出せないほどに世界中の旅の話を聞くようになった。 パスポートは期限切れで申請するよりも期限内に手続きした方が安いのだけれど、当然のように10年パスポートは使い物にならなくなっていた。 無効なものを記念に取っておく趣味もないのでいつか片付けをしたときに破棄してしまったのだが、無効といえども再申請の際に必要だということを知ったのは、この度の再申請直前のことだった。 日本は島国だから外国へ行くことを「海外」と言う。 大きさは全く違うけれど、オーストラリアなんかも外国に行くのは「海外」へ行くと言ったりするのだろうか。 隣接しあっていて、電車内で国境をまたげてしまうEU諸国は、よその国に行くとき何と言うのだろう。 今回の旅先は、グアム。 学生時代、海外旅行ばかりしていた私は、グアム、サイパン、ハワイ、韓国、台湾は「近くて安全、旅行として簡単、いつでも行ける」と避けてきた場所だ。 息子がまだ小さい今、そしてコロナによって遠ざかってしまった久しぶりの海外旅行、期熟してグアムに向かうのである。 メンバーは夫と息子、そして夫の妹さんの4人。 大人の頭数はひとりでも多い方が良い。 グアムの天気や気温や食べ物やアクティビティなど一切調べることなく前日になった。 もちろん楽しみと言えば楽しみなのだが、日常は濁流なので、その濁流から足を洗えずに前日を迎えてしまったのだ。 あと、幾週間前から熱狂している眼前のヤフオクに引き続きかまけていたのもあるが。 旅行の手配は夫の妹さんがほとんどして下さって、申請や事前手続きも夫がほとんど調べてくれた。 夫と暮らすようになって、私は各種書類申請ごと全般が本当にいよいよダメになってしまった。 夫がそういう文書を読むことに慣れているため、夫だって感じる面倒はさておき、どうしても、夫にやってもらいたい。 面倒がって怠けているだけ、そうとも言えるし、だがもうどうにも文章が頭に入ってこないのである。 事前準備が可能な入国審査の書類も、夫の書いたものに沿って私はほとんど読まずに書き上げた。 普段から、何とかなるだろう、と思っている幅が私の方が俄然広いので、夫はきっと日々至極呆れていることだろう。 私にもたぶんしっかり者として機能する場面というのはあるのだが、それはおそらく双方の度合いの問題で、しっかり者度が強度な相手といる場合には、空席となる怠け者役を自然と担っているような感じである。 旅行前夜になってあれこれ少し揉めながら、しかし息子は元気いっぱいで寝る気配もなく、遅遅としか進められない準備に辟易とした。 荷物をパッキングしている最中、息子は余計なおもちゃやゴミなどをせっせとスーツケースのポケットに詰め込んでいた。 5時起きのプレッシャーから、私は30分ごとに目が覚めて全然眠れなかった。 息子は朝が苦手なのでうにゃうにゃ文句を言って、朝ごはんも食べられない様子。 諸々済ませて早めに出発。 成田エクスプレスと京成スカイライナーとどっちが良いか希望を聞くと、スカイライナー!ということで、スカイライナーを予約。 大人だけなら鈍行で行くけれど、電車好きの彼が喜ぶのでもちろん特急だ。 普段から、新横浜まで行ってそこから東京まで新幹線で帰ってくるとか、ロマンスカーに乗って湘南に行って懸垂型の湘南モノレールに乗るとか、東京モノレールで羽田空港まで行ってリムジンバスに乗って帰ってくるとか、そういう生活をしている。 行った場所で遊んだり、名物を食べる来る訳では無い、ただ行き帰りの乗り物に乗っているだけだ。 息子は、休みの日は一度起きてからほとんど朝寝も昼寝もしないのだが、さすがに睡眠不足のようで、スカイライナーで車窓を見入っているかと思いきや程なくして寝てしまった。 成田空港ではスーツケースを自分が押すと張り切って走り回っていた。 朝ごはんを食べていなかったので、家から持ってきたチョコパイとフレッシュネスバーガーのポテトでカロリー補給。 チェックインや、荷物検査、イミグレーションなどパスポートと搭乗券を求められることが多々あったのだが、息子といると、ついそれへの意識が飛んでハッとすることが何度もある。 然るべきバッグの場所にそれらをしまおうと思ったそのタイミングで彼はふざけたり、転んだり、怒ったりするからだ。 気を取られてバッグにきちんとしまったのかどうなのか分からなくなる、しかも2人分。 旅中もパスポートだけは気をつけなければ。 ところで成田空港はやけに空いている。 今回チェジュ空港のLCCだ。 どこも旅行者で溢れかえっているのではなかったか。 9月も下旬、台風の季節、日曜朝発のLCCでグアムに行く人は全然いないらしい。 さほど大きくない飛行機は、3分の1も埋まっていない。 もはや全員3列シートで足を伸ばしても良いくらいだ。 ぎゅうぎゅうの飛行機というのはそれだけで息苦しく辛いものだが、このくらい空いていると、成田が遠くても、第3ターミナルが離れていても、機内サービスが無くても、座席のモニターが無くても、何よりも快適に思える。 飛行時間は3時間半だが、息子にとったら離着陸以外はとてもつまらない時間なので、色々とお菓子やおもちゃを持ってきている。 それでも不安だなあと思っていたが、やはりまだまだ睡眠不足だったようで、離陸後間もなく寝てしまった。 息子のサイズならもう完全フラットで寝られる。 そして、私も今これを書いている。 雲外蒼天。 雨だって雲の上へ飛び出せばall is blue sky。(宇多田ヒカル『Time will tell』) 旅日記をつけること、昔はそれが旅の一番の楽しみだったと言っても過言では無い。 鮮度が命の旅日記は、数日経ては書けない。 なるべくその日のうちだ。 できればパソコンで書きたい。 最近の息子のいる日々では書けなかったり、途中で頓挫してしまうことも多い。 彼は2時間たっぷり寝て目を覚ますなり窓の外を見て「止まっているよ」と言った。 日々ビュンビュン動く車窓を楽しんでいる彼は、物足りないというよりは不思議そうな顔をした。 〈YouTube〉 織田信長のマーク!麒麟の花押に太平の世を願った【花押の歴史3】 - お字書き道TALKS #045 〈note〉 現役書道家プロファイルVol.4【板谷栄司with鯖大寺鯖次朗】 ヤフオクにハマって2週間くらいが経過しただろうか。
夜中に覚めてしまったとき、ヤフオクを見てさらに高揚して眠れなくなるほどのハマりようである。 私は元々インテリアに興味があって、部屋を作るのが好きだ。 ファッションなんかよりも数倍興味がある。 そのことに最近自分に合点がいったことがある。 化粧を含むファッションは、自分の装飾であり、普段自分はほとんど見えないものなので、その自分への装飾に興味をすっかり失ってしまった。 一方でインテリアは常に目に入るものなので、好きなものを置いたり飾ったりしたいのだ。 と言っても、子どもがいてはリビング等は思い通りにまったくいかないので、書道教室の方を模様替えすることにした。 冷蔵庫をうんしょうんしょと一生懸命移動させていたら腹の肉を攣ってしまった。 そんなところを攣るのは初めてで、うずくまりながら少し笑った。 ヤフオクを起点に、部屋の改革も佳境に入り、あとは少し棚を買い足して、細々したところ片付けたら完成だ。 今回ヤフオクを利用して、何時間何十時間も費やしで商品を見て回り、それなりに競り合いにも参加し、悲喜交々と言ったところなのだが、普通のネットショッピングと最も異なるのはモノを手に入れるまでの時間がとても長いということだ。 Amazonのプライムのサービスにより、ネットショッピングの到着は過去に比したら夢のように早くなった。 買ったものは翌日に届く、沖縄や北海道や離島や山奥でない限りは、そんな世の中が当然となった。 買いに行くよりも早いくらいだ。 ところが、オークションはまず1オークションは大体1週間で設定されている。 オークションが終わるまで、落札できないかもしれない気持ちとともに待たねばならない。 中には即決と言って、その場で決められた額を支払えば即オークション終了となるものもあるが。 そして、めでたく落札できても、出品者はヤフオクのみをやっているわけではないのでたいてい連絡も少し時間がかかる。 そして、家具などの大きなものの場合宅配便も特殊なもので、日時指定ができなかったり、できても結構遠い日付からだったりする。 なんだかんだ、落札から1週間ほどはかかる。 それを買おう!と意思が決まってから、10日から2週間ほどかかるイメージだ。 まあでも、通常のショッピングサイトではお見かけすることのできない顔つきのものがじゃんじゃんわんさか出てくるので、本当に私は沼から抜け出せずにいる。 四六時中、ヤフオクのことで頭がいっぱいになってしまう。 ほとんど嬉々と、楽しすぎるという気持ちでやっているから全然良いのだけれど、そろそろ全体を見漁ったかと思うときにまた、新しいものをどんどんわんさか見つけてしまうので本当にキリがない。 部屋の模様替えが終わったら、一旦もう止めようか、止められるのか、止める気はあるのか。 ヤフオクを使ってみたい、特に家具やインテリア商品について、という人がいたらご相談いただきたい。 力になれると思う。 <YouTube> 花押ってなあに?総理大臣のマーク! <note> 略字の世界~その1~ 近所にいわゆる町中華があって、3,4か月に一度訪れる機会が不意に訪れる。
昨日はそんな日で、食べたい気持ちと時間的余裕とたまたまお昼時にお店の前を通りかかった、そんなことが重なってふらりと町中華でお昼ごはんをした。 お店は平日の11時半~14時ころまでしかやっていないのだが、いつも満席に近い。 昨日も13時を過ぎていたがまだまだお客はたくさんいたし、入ってきていた。 店内は狭く、カウンター席が10席ほど、奥に4人掛けテーブル席が2つ。 テーブルはもちろん混雑時は相席だ。 ひとりだったのでカウンター席へ。 狭いカウンター席の空席の両隣はラーメンをすすっている男性だった。 圧倒的に男性が多く、2,3人でランチに出てきているようで、仕事のこぼれ話をしている。 そんな中やや肩身の狭い思いを勝手に感じながら、カウンター席に着席。 ラーメン、みそラーメン、広東麺、チャーシュー麺、ワンタン麺などの王道麺メニューと、炒飯、カレーライス、かつ丼、天津丼、マーボー丼などの丼ものメニュー。 どれも700~900円くらいなのだが、日替わりのサービスメニューというのがあってそれは600円。 昨日の日替わりは、ミニかつ丼とハーフラーメン。 メニューの前で色々迷ってみるのだが、結局日替わりにしてしまうことが多い。 安い、ご飯と麺の2種類が食べられる、かつ丼もラーメンも王道メニューなので全く安心だ。 強みにあふれている。 昨日はまるで夏真っ只中のような激烈な残暑に見舞われていたので、一瞬だけ冷やしメニューにしようかとも思ったが、暑いときに熱いものがオツである気がした。 かた揚げ焼きそばとか広東麺とか天津丼とか、いつか食べてみたいと思っているのだけれど、それは週1回くらい行きつけていないと難しい。 3,4か月空いてしまうと、そもそもあの店の王道の味から再スタートするしかない。 厨房ではおばちゃんとおばちゃんとおばちゃんの3人が相当に忙しなく働いている。 町中華は少し愛想が良くないイメージがあるのだが、この店は、多少そうであって、多少そうでない。 忙しいので黙々と手を動かしているが、接客態度に怖さというか威圧感はない。 そう、あまり出なさそうなメニューを注文するのは、忙しなさ過ぎる厨房のおばちゃんたちに迷惑なのではないか、という気もする。 よく出るメニューは手慣れていて、仕込みも多くしているだろうから。 ほどなくして熱々のかつ丼と熱々のラーメンが出てきた。 そう、やはり私はこれが食べたかった。 まんぞく、という感覚に満ちて店を出た。 <note> ⇒略字の世界~その1~ ⇒最も古い漢数字(一二三四五六七八九)はどう書いた?~古代文字の変遷~ <YouTube> →【日本生まれの“漢字”】凪凩峠毟働辻噺榊艝椛糀躾喰樫【国字の話②】 →JAPANESE SUSHI - KANJI 【国字の話①】 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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