ヤフオクにハマって2週間くらいが経過しただろうか。
夜中に覚めてしまったとき、ヤフオクを見てさらに高揚して眠れなくなるほどのハマりようである。 私は元々インテリアに興味があって、部屋を作るのが好きだ。 ファッションなんかよりも数倍興味がある。 そのことに最近自分に合点がいったことがある。 化粧を含むファッションは、自分の装飾であり、普段自分はほとんど見えないものなので、その自分への装飾に興味をすっかり失ってしまった。 一方でインテリアは常に目に入るものなので、好きなものを置いたり飾ったりしたいのだ。 と言っても、子どもがいてはリビング等は思い通りにまったくいかないので、書道教室の方を模様替えすることにした。 冷蔵庫をうんしょうんしょと一生懸命移動させていたら腹の肉を攣ってしまった。 そんなところを攣るのは初めてで、うずくまりながら少し笑った。 ヤフオクを起点に、部屋の改革も佳境に入り、あとは少し棚を買い足して、細々したところ片付けたら完成だ。 今回ヤフオクを利用して、何時間何十時間も費やしで商品を見て回り、それなりに競り合いにも参加し、悲喜交々と言ったところなのだが、普通のネットショッピングと最も異なるのはモノを手に入れるまでの時間がとても長いということだ。 Amazonのプライムのサービスにより、ネットショッピングの到着は過去に比したら夢のように早くなった。 買ったものは翌日に届く、沖縄や北海道や離島や山奥でない限りは、そんな世の中が当然となった。 買いに行くよりも早いくらいだ。 ところが、オークションはまず1オークションは大体1週間で設定されている。 オークションが終わるまで、落札できないかもしれない気持ちとともに待たねばならない。 中には即決と言って、その場で決められた額を支払えば即オークション終了となるものもあるが。 そして、めでたく落札できても、出品者はヤフオクのみをやっているわけではないのでたいてい連絡も少し時間がかかる。 そして、家具などの大きなものの場合宅配便も特殊なもので、日時指定ができなかったり、できても結構遠い日付からだったりする。 なんだかんだ、落札から1週間ほどはかかる。 それを買おう!と意思が決まってから、10日から2週間ほどかかるイメージだ。 まあでも、通常のショッピングサイトではお見かけすることのできない顔つきのものがじゃんじゃんわんさか出てくるので、本当に私は沼から抜け出せずにいる。 四六時中、ヤフオクのことで頭がいっぱいになってしまう。 ほとんど嬉々と、楽しすぎるという気持ちでやっているから全然良いのだけれど、そろそろ全体を見漁ったかと思うときにまた、新しいものをどんどんわんさか見つけてしまうので本当にキリがない。 部屋の模様替えが終わったら、一旦もう止めようか、止められるのか、止める気はあるのか。 ヤフオクを使ってみたい、特に家具やインテリア商品について、という人がいたらご相談いただきたい。 力になれると思う。 <YouTube> 花押ってなあに?総理大臣のマーク! <note> 略字の世界~その1~
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近所にいわゆる町中華があって、3,4か月に一度訪れる機会が不意に訪れる。
昨日はそんな日で、食べたい気持ちと時間的余裕とたまたまお昼時にお店の前を通りかかった、そんなことが重なってふらりと町中華でお昼ごはんをした。 お店は平日の11時半~14時ころまでしかやっていないのだが、いつも満席に近い。 昨日も13時を過ぎていたがまだまだお客はたくさんいたし、入ってきていた。 店内は狭く、カウンター席が10席ほど、奥に4人掛けテーブル席が2つ。 テーブルはもちろん混雑時は相席だ。 ひとりだったのでカウンター席へ。 狭いカウンター席の空席の両隣はラーメンをすすっている男性だった。 圧倒的に男性が多く、2,3人でランチに出てきているようで、仕事のこぼれ話をしている。 そんな中やや肩身の狭い思いを勝手に感じながら、カウンター席に着席。 ラーメン、みそラーメン、広東麺、チャーシュー麺、ワンタン麺などの王道麺メニューと、炒飯、カレーライス、かつ丼、天津丼、マーボー丼などの丼ものメニュー。 どれも700~900円くらいなのだが、日替わりのサービスメニューというのがあってそれは600円。 昨日の日替わりは、ミニかつ丼とハーフラーメン。 メニューの前で色々迷ってみるのだが、結局日替わりにしてしまうことが多い。 安い、ご飯と麺の2種類が食べられる、かつ丼もラーメンも王道メニューなので全く安心だ。 強みにあふれている。 昨日はまるで夏真っ只中のような激烈な残暑に見舞われていたので、一瞬だけ冷やしメニューにしようかとも思ったが、暑いときに熱いものがオツである気がした。 かた揚げ焼きそばとか広東麺とか天津丼とか、いつか食べてみたいと思っているのだけれど、それは週1回くらい行きつけていないと難しい。 3,4か月空いてしまうと、そもそもあの店の王道の味から再スタートするしかない。 厨房ではおばちゃんとおばちゃんとおばちゃんの3人が相当に忙しなく働いている。 町中華は少し愛想が良くないイメージがあるのだが、この店は、多少そうであって、多少そうでない。 忙しいので黙々と手を動かしているが、接客態度に怖さというか威圧感はない。 そう、あまり出なさそうなメニューを注文するのは、忙しなさ過ぎる厨房のおばちゃんたちに迷惑なのではないか、という気もする。 よく出るメニューは手慣れていて、仕込みも多くしているだろうから。 ほどなくして熱々のかつ丼と熱々のラーメンが出てきた。 そう、やはり私はこれが食べたかった。 まんぞく、という感覚に満ちて店を出た。 <note> ⇒略字の世界~その1~ ⇒最も古い漢数字(一二三四五六七八九)はどう書いた?~古代文字の変遷~ <YouTube> →【日本生まれの“漢字”】凪凩峠毟働辻噺榊艝椛糀躾喰樫【国字の話②】 →JAPANESE SUSHI - KANJI 【国字の話①】 細々と積み重ねているお字書き道TALKSであるが、月1で書道家のインタビューを配信(1人を2回に分けて)しており、それが4人目となった。
こんな弱小番組の弱小書道家からの依頼を受けてくださること自体、まずもって私には感無量である。 現在私は書壇と呼ばれる書道の世界には属しておらず、かつて所属していた団体の方で、仲良くしている方はひとりもいない。 SNSを通じて書道家の知り合いが増えたことは、用意されたプールの小石拾いをするわけではなく、大海原に身ひとつで飛び込んで掴んだものだ。 まあ、別段たいして難しいことではないのだけれど、それでも、ここまでやってきた自分のことを時々は褒めてあげたいと思う。 インタビューも私から直々にお願い申し上げて、受諾していただいている。 SNSで作品は拝見していても、実際にはほぼ会ったことも話したこともない人ばかりだ。 こんなことをばらすのもなんだが、無償で受けてもらっている。 ここまで皆さん全員酒飲みなので、収録後にお酒と料理はふるまっているが。 よくもまあ皆さん、受けてくださるものだ、と本当に有難い気持ちである。 と言っても、やはり私のことをどこかしら好いてくれている反応のある方にお声がけしている。 具体的には、いいねやコメントをしてくださる方々。 最新回の板谷栄司さんは、私がInstagramで知ったのも最近のことで、作品を拝見していいなと思ってフォローしたらすぐさまフォローバックしてくださった。 いくつかの作品にばばばーっといいねもくださった。 板谷さんは、Wikipediaにも載っている有名なテレビプロデューサーだった。 私たち世代からすれば、青春時代のフジテレビの音楽番組はすべて板谷さんが作っていたと言っても過言ではない。 「SMAP×SMAP」「HEYHEYHEY」「僕らの音楽」「FNS歌謡祭」「love music」などの番組を、総指揮官として、いや指揮に留まらず、細部にわたる映像制作人として手掛けていた人なのだ。 所謂、スゴイ人、だと思う。 また、アーティストをコラボレーションさせるというスタイルも板谷さんが確立したようなものらしい。 ちなみに、「僕らの音楽」「love music」などの題字は板谷さん自らの揮毫である。 「僕らの音楽」の題字は昔から、なんか変な文字で興味深いなあ、と思っていたのだが、図らずも作者に会えてしまった。 あの題字は10年ほどの番組放送期間中に2,3回書き直して変更しているらしい。 そんな板谷さんがフジテレビを辞めて書道家に転身した話は是非YouTubeで聞いていただきたいのだが、収録後に酒を酌み交わしているときも板谷さんはとても興味深い話を沢山してくれた。 相方である音楽家のタナカはもちろん、私も音楽は好きだし、板谷さんが作っていた番組を後々YouTubeで見ることも何度もあった。 私たちが思いのほか音楽好きなので、板谷さんも熱が入り、映像制作の細かな部分を「僕らの音楽」の動画を見ながら解説してくれた。 背景のシャンデリアや東京タワーの話、花を置くワケ、マイクが複数本ある理由、アーティストの裏話・・・板谷さんにとってみれば30年間のテレビマンの思い出話を番組ファンの視聴者とともにしているわけで、感慨深かっただろう。 板谷さんは時折ハンカチで目を拭いながら、深夜まで私たちは話をした。 行動することでご縁が生まれる、というのは陳腐な言い回しだが、思い切って板谷さんにお声がけして良かったなあと思った。 もちろん誰だってその人なりの歴史や見聞があるものだけれど、普段の生活圏内では知り得ないことを垣間見れるのはやはり嬉々となる。 そんな超敏腕テレビマンの板谷さんがなぜ書道家になったのか、の話。 ぜひ聞いてみてください。 【書道家対談シリーズ④】元フジテレビ音楽番組プロデューサー板谷栄司with鯖大寺鯖次朗〜前編〜 <note> 最も古い漢数字(一二三四五六七八九)はどう書いた?~古代文字の変遷~ 今も残る123456789以外の数字!【東南アジア+リベリア編】(数字Ⅱ) <YouTube> 【書道家対談シリーズ④】元フジテレビ音楽番組プロデューサー板谷栄司with鯖大寺鯖次朗〜前編〜 お字書き道TALKS #041 海浜幕張に行った話はもう書けないだろう。
もはやあまり覚えていないからだ。 息子の好きなトミカ「連接バス」を持って「連接バス」に乗りに行った。 連接バスには息子と同じように連接バスファンの連接バストミカを持った男の子が乗っていた。 その子のお母さんと目を合わせて、目だけで、「そうなんですよ、もう仕方ないですね(苦笑)」という会話をした。 そして私はホテルのプールとサウナに入った。 サウナ室はなんと贅沢に私ひとりになる時間が長く、十分に動きを開放して十分にととのうことができた。 書き始めると書けるかもしれないけれど、記憶の鮮度が落ちているのでこれくらいにしておこう。 さて、最近の私は何がきっかけだったか、ヤフーオークション、ヤフオクに執心している。 確か、先月銀座のとある画廊のとなりにヨーロッパ家具のアンティークショップができていて、そこで模様替え熱に着火してしまったものと思われる。 私は洋服にはもう何年もまったくと言っていいほどに興味がない。 いもうとからは「フィリピン帰り」みたいなファッションだと言われるし、靴下が裏返しで気づいても履き替えないし、化粧も眉毛を書くだけ。 しかしインテリアに対する熱はずっとあって、もちろん息子がいるためあまり自由にはできないのだが、たまにはインテリアサイトやお店をのぞくこともあった。 絵や書を見たり買ったりするのも、そういう意味合いも大きい。 今回、書道教室の方を変えてみようと、ふとヤフオクを覗いたらとてもとても面白い。 私が普段見ているような物ではない物たちがわんさかあふれてくる。 先日のお字書き道TALKSの書道家インタビューで「くろのぺんさん」が骨董や古道具を扱っていたというのも心にじんわりと響いていて、アンティーク、骨董、古道具、所謂中古品に目が向くようになった。 これまではつるりと明るい、無駄のない北欧調のデザインが好きだったのだが、本当に目の向け方によって見えてくるものが全く違うものである。 ヤフオクはこれまでに古典の法帖などを買うこともあったが、それほどには利用したことはない。 誰かと金額を競り合ったこともない。 画像判断における商品の価値、表示されている金額、入札件数、入札の意味、出品者の信頼性、送料がいかほどか、オークションは新品の買い物と違うことも多々あり、まずはその仕組みやその場における礼儀作法を知らねばならない。 失敗をわけではないが、失敗も込みのダイブだ。 数日間数十時間しこたまヤフオクを見て、いくつか入札して、買えたり買えなかったり。 ちょうど息子にコーヒーカップを割られてしまったので、目に留まった素敵なコーヒーカップを落札して、毎日むふふとそのコーヒーカップを見ながらコーヒーを飲んでいる。 他の入札したカップやイスは、どんどん値がつり上がったり、直前に高値を付けられて奪われたりと、オークションの醍醐味も少し味わっている。 書道の半紙を置く紙の棚も落札した。 古びたものだけれど、紙とは相性が良い。 これまで紙はクローゼットの中の引き出しにしまっていたのだが、紙の全量を把握しておらず、使っていないものや重複しているものが沢山出てきた。 これで余分に買うこともなくなるだろうか。 如何せん、とにかくヤフオクを覗いているのが楽しい。 こんなに何かにうっひょーとなったのは久しぶりだ。 サウナ以来かもしれない。 こういう状態になるとき私はいつもムッシュかまやつの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を思い出す。 ゴロワーズを吸ったことがあるかい (中略) 短くなる迄奴は吸うのさ そうさ短くなる迄すわなけりゃダメだ 短くなる迄すえばすうほど 君はサンジェルマン通りの近くを 歩いているだろう <YouTube> ⇒続【明治・大正時代のたのしい名前集】今は名づけに使えない記号「々」「〃〇ー」はなんと読む?奇姓珍名集「姓名の研究」より- お字書き道TALKS #039 ⇒JAPANESE SUSHI - KANJI 【国字の話】- お字書き道TALKS #040 <note> 数字いろいろ!現在も使われている、世界各国の数字Ⅰ【ローマ・ギリシャ・アラビア・インド編】 お盆休み、では私はない。
療育はお盆休みなので、月曜午前が使える。 どこかへ行きたい、というのは時折訪れる多くの人が持つ欲望ではないかと思う。 物理的移動なしに精神的にどこかへ行くことも可能であるが、やはり物理的・地理的移動はどこかへ行きたい欲を手っ取り早く満たすことができる。 しかしながら私は、学生時代に海外旅行命!のように頻繁に動いていたら、地理的移動や素晴らしい景色で満足していない自分に気付いてしまったことがあった。 学生時代が過ぎても、フィリピンへ行ったり、オーロラを見に行ったりなど、どこに向けてか海外正義を振りかざして出かけていた。 あれは、オーストラリアのパースだった。 日本にはない変わった低木の生える砂漠地帯、広大に吹き渡る乾燥した風を浴びながら、なんだか、「これは違うぞ」と思った。 まるでロックンロールに出会ったときのように。 おそらく私は、私が思う社会通念において「海外旅行(あるいは地理的に希少な経験)」に”高い価値”を設定していたのだと思う。 特に、当時「学生時代にしかできないこと」として声高々に言われていたことの一つが海外旅行であったように思う。 私はそれを最上級に誇れるものとして、自分の行動指針に掲げていたのだろう。 わたし=バックパッカー、アイデンティティの一部としてそれを持ちたかったのだろう。 時代の変わった今、そもそも「学生時代にしかできないこと」という言葉さえ死語なのかもしれない。 オーストラリアのパースが悪いわけではない。 あの場所は、素晴らしい場所だ。 しかし外的に設定したその価値観と、内的な価値観にズレが生じていることにはたと気が付いたのだ。 ちなみに、”ロックンロール”の出会いについて説明することは時にとても困難なのだが、私の言う”ロックンロール”とは、紐解いて言えばまさにその価値観のズレとの対面である。 その意味において、パースは有難い場所とも言える。 私が”高価値なもの”と位置付けて、無理やりにアイデンティティを構成しようとしていた海外旅行は、月並みな言葉で表すのが相応しいほどに、ガラガラと音を立てて崩れてしまった。 ついでに、そもそもアイデンティティなど、自らの意思で構築するような性質のものではない。 あんなにたくさん海外旅行に行っておいてなんだが、私は「(地理的な)旅を愛する者」とは言えない。 わたし=バックパッカー、なんて到底言えない。 好きなことはひとりでもする、というのが好きなこと対するひとつの定義であろうと思う。 私はひとりで旅に出かけたことが実はほとんどないのである。 すべての海外旅行は、人は違えど連れがいた。 行き先のほとんどは連れが決めていたと言っても良い。 私は衝撃的な方向音痴なので、そもそも見知らぬ土地をひとりで歩くことにはかなりの抵抗感がある。 ましてや海外をや。 まだ未見のウユニ塩湖もマチュピチュも行ってみたいし見てみたいけれど、ひとりで時間と金をやるから行ってこいと言われても、私は確実に断る。 それくらい、ひとりで海外になんて行きたくない。 まあでも。 そうなってからの私も、どこかへ行くことは好きだし、誘われれば海外だって是非とも行きたい。 子育てやコロナなど、身動きがとりづらくなってからはよりどこかへ行きたい欲は定期的にむくむくと湧いてくる。 もはやどこでも良いから、環境を変えたい。 そういうわけで、懐古していたら長くなったが、海浜幕張に一泊してきた話を書こうと思ったのだった。 しかし長くなったので、それはまた別の機会に書くとしよう。 <YouTube> →【明治・大正時代のたのしい名前集】附・難訓姓氏辞典 奇姓珍名集「姓名の研究」荒木良造 1929年(昭和4)発行 →続【明治・大正時代のたのしい名前集】今は名づけに使えない記号「々」「〃〇ー」はなんと読む?奇姓珍名集「姓名の研究」より- <note> →【日本の数字の歴史】明治初期、アラビア数字とともに日本の数学は変わった(その3) →100も承知!?横書きのときの数字。漢数字?アラビア数字(算用数字)? 息子を連れてプールへ行く。
私は結構プールが好きで、彼を妊娠するまでは50mのプールを求めてわざわざ東京体育館まで泳ぎに行っていた。 と言っても、早く泳げるわけでも、バタフライができるわけでもなく、もっぱら平泳ぎをするだけだけれど。 ついでに、海や川のような自然の水場は怖いので苦手である。 ただ水の中に潜って、非日常の音や水圧を味わって、流れのない安心できるしょっぱくない水に浮いていたい。 そして、時々泳いで、泳ぎ疲れて血液循環が良くなった体でぼーっとしたい。 子育て仕事もそうだが、女性特有の理由も含めて、なかなか機会がないもので、随分プールにご無沙汰である。 まあ息子を連れていては、先ほど述べたような感じのプールの味わい方ができないことは承知の上だが、数年ぶりにプールに入りたいとここ最近熱が高まっていた。 スライダーがあったり、流れるプールがある遊園地的プールも考えたが、何せ初めての場所で息子が怖がって全く動かないという可能性もある。 そうなっては入場料も辛いので、近場の区民プールへ。 25mと、幼児用の推進50cmほどのシンプルな2つのプール。 貸し出しはビート板のみ、他にぬるすぎるサウナのような採暖室もある。 息子はお風呂のシャワーも平気だし、保育園のプールも楽しんでいるとのことで、入り口の温水シャワーで少し怖気づいたが、幼児用のプールにすんなりと入ってくれた。 若干震えていたのはおそらく彼の身体にとっては少し寒かったからだろう。 幼児用のプールでぱちゃぱちゃしつつも、息子は顔を水に浸けることがまだできないので、本当にぱちゃぱちゃとしながら歩くだけである。 私は少し頭を水の中に沈めて潜ってみるものの、息子が心配なので数秒も経たずに顔を上げる。 プールには大きな時計があるものだが、ふうっとひと息ついても10分しか経っていない。 これでは全然時間が潰れないじゃないか。 25mプールはこの子と一緒に入れないか、と監視員さんに尋ねると、隅の2レーンでしたら問題ないですとのこと。 息子に行ってみるかと聞くと、いいよと言った。 息子を抱っこして水深120cmほどのプールに入る。 当然息子を離すわけにはいかないので、抱っこしたままやはりウォーキング。 それでもやっぱり深い方がプールに入っている感じがあって楽しい。 採暖室などにも寄りながら、何とか40~50分を過ごす。 プールから上がって、フライドポテト食べようか、とマクドナルドに行く。 泳ぐという行為はしていないけれど、プールのあの疲労感が感じられて心地よかった。 今度は遊園地的プールに行きたい。 私がすべりたいようなスライダーは身長制限でおそらく息子はすできないだろうから、私がすべるには夫も必要だ。 しかし夫はプールは嫌らしい。 そんなぁ。 <夏のいけばなコラボワークショップ> 単発の筆ペンお名前レッスン&夏の終わりのいけばな <YouTube> 名付け(命名)の裁判騒動!年間約4000人が改名!名づけの法改正案とは? - お字書き道TALKS #035 <note> 【日本の数字の歴史】明治初期、アラビア数字とともに日本の数学は変わった(その3) なんとまあ濁流のごとく過ぎる日々か。
息子の体調は全快と言っていい。 咳も鼻水もないぴかぴかの彼を見ているのはこちらも心地よい。 一時去年の9月にまで後退してしまった体重も大分と戻っているのではと思う。 相変わらずの偏食だが、ごはんと唐揚げはこちらが驚くほど食べるし、アイスクリームやラムネなどよく食べる。 何でも良い、だがカロリー不足だけは良くない。 保育園では頑張って半分くらい食べているとのこと。 嫌いなものは食べたくない、得体のしれないものは食べたくない、普通の反応だろう。 まあでもしかし後者については、食べてみたら美味しいという体験が必要である。 口に入れるものへの警戒心が強いのは仕方がないが、少しずつ食べられる種類を増やしていってほしいと思う。 あまりに暑いので、2000円ほどの日傘を買った。 傘は邪魔だけれど、もはや帽子だけで防げる日差しではない。 今の折りたたみ日傘はワンタッチで開く。 たたまれた状態からボタンひとつで、ぶわっと開く。 このようなものは結構昔からあるらしいが、初めて使うと誰でもちょっと感動するのではないかと思う。 日傘は自分で日陰を作れる。 日傘から伝わってくる熱さとアスファルトからの照り返しがあるので、本物の日陰にはかなわないのだが、それでも直射日光でないだけかなりましだ。 日傘は女性のものというイメージがあるが、そんなことを言っていては身は守れない。 夫にも購入を勧めてみたら、使ってみるとのこと。 夜でも熱中症になるとか、プールの中でも熱中症になるとか、なんだか本当に世界は変わってしまったのだなあと思う。 このような暑さは、学生時代にモロッコに行った時のことを思い出す。 もちろん今の日本の最も暑い場所の気温よりも高い45℃くらい。 風は熱風で、それでやけどをしてしまうのではないかと思うほど。 現地の人が顔まで全身布をまとっている理由がよく分かった。 持っている水は忽ちお湯になり、喫茶店のオレンジジュースはどれもぬるかった。 そんなに暑いのに、冷房のある部屋の料金をけちって、冷房のない部屋に泊まった。 昼寝をしたらどろどろになって溶けるかと思った。 しかしながら、今のように熱中症という危機感には乏しく、特に身体の不調も感じなかった。 それは若かったからなのか、それなりに適応していたからなのか。 砂漠で見た星空やもぎたての葡萄の温かさ、どこにでもあるタジン鍋。 あのときの思い出話は、今になっても色が濃い目だ。 あぁ。 異国に行きたくなった。 <夏のワークショップ> 単発レッスン!自分の名前を筆ペンできれいに書こう!&夏のおわりのいけばな 8月20日(日)10時~、13時~ 8月23日(水)10時~、13時~ 私の方は単発のお名前レッスンを行います。初心者・未経験者でも大丈夫です。 <note> →【日本の数字の歴史】江戸時代の数字(その2) →現役書道家プロファイルVol.3【くろのぺん】 <YouTube> →名づけは創作!その意欲で世の中を良くしよう!黒木華、川村虹花、板垣李光人… - お字書き道TALKS #036 →【書道家・くろのぺんが考える「書道」】未完成作品の行く末とは- お字書き道TALKS #037 水曜日の今日が私の週明けである。
息子の長い長い療養期間はようやく明けた感じがあるのだが、土曜日に幼稚園のイベントがあり、なんと3連休挙句翌日の火曜日までがお休み。 こども園は保育園機能と幼稚園機能が一体化した保育施設であって、保育園枠が満員のため、息子は致し方なく幼稚園枠で入園している。 保育園の子たちは全般無料、給食も延長保育も土曜保育も無料、そして振替休日も夏休みもない。 幼稚園の子たちは午前中無料、給食も延長保育も有料で、振替休日あり、土曜保育は認められない、そして夏休み期間は基本が休み、夏休み期間の預かり保育は全時間で有料である。 もちろん分かって入園しているのだが、このことを考えると何だか怒りが湧いてきてしまう。 行政は子育て事業に関してよくやっている、というのが私の大方の感想なのだが、このことだけはあまりに不公平でどうしても鬱っとした気持ちになる。 もちろん分かって入園しているわけで、そのせいで気持ちのやり場がない。 この期に及んで、この時代に幼稚園の仕組みが不必要な気がしてならない。 まあ息子はと言えば、丸一日おかあさんと過ごせるということで一日中にこにこしていた。 それは悪いことではないけれど、彼は一人でしたいことはまだ一切なくても、私は一人でしたいことが山ほどあるのだ。 でも、まあ、気を取り直して一緒に出掛けよう、外は灼熱だけれど。 飛行機を見に行きたいと言うので、羽田まで、東京モノレールなどに乗って向かう。 電車や電車のアナウンスや駅名が好きな彼は、東京は格好の遊び場である。 よく乗る路線の駅名はほとんど漢字で読めるし、各線のアルファベットまできっちり覚えている。 都営大江戸線は「E」、三田線は「I」、西武池袋線は「SI」、東急目黒線は「MG」とかいろいろ。 羽田空港に着いて、マクドナルドもピザも食べないと言うので、どうするのと聞くとお弁当を食べると言う。 YouTubeの動画か何かで見たのだろう。 紀伊國屋のコンビニがあり、おにぎりを1個ずつとお茶とリンゴジュースを買って、デッキに向かう。 暑すぎて飛行機を眺めるどころではないので、展望デッキは閑散としていた。 テーブルとイスがあったので、二人でおにぎりを食べ、セブンティーンのアイスクリーム自動販売機があったのでアイスも買った。 更に階段で屋上デッキに上れるとあり、息子はそれに行くと言う。 決死の思いで階段を上ると、確かに見晴らしの良い広々としたデッキが現れた。 やけどをしそうなほどの太陽光で熱せられた空気はまるでサウナのようだった。 これがサウナなら、水風呂を用意してもらいたい。 それならもう少しこの灼熱の空間にいても良い。 帽子だけでは太陽光が怖くて、持っていた手拭いをかぶった。 もう危険だから戻ろうと、息子を抱き上げて、急いで階下に行き、室内に入った。 もはやもう、日本は日本ではなくなってしまったような暑さである。 涼しければ何でも良いと思え、息子がうろうろと散策するのにしこたま付き合った。 そうしていたら、あろうことか、TOMIKAの公式ショップが現れて、息子は沼に吸い込まれていった。 公式ショップは割引もなく高い。 しかし、何か買えばその場から離れることも許される。 きらきらとした息子は、トミカの中でも値段の高いロングタイプを選んだ。 そう言えばこれといった誕生日プレゼントをあげていないので、誕生日プレゼントで進呈した。 その後もうろうろするのに付き合った。 空港内は広いし、涼しいので、特段文句はない。 買ったトミカを開けるなら電車に乗ろうと提案すると、すんなりと電車に乗った。 1号車の前面展望、抱っこでお見せし続ける。 若はお悦びじゃ。 その後、山手線に乗ると言うので乗るが、高輪ゲートウェイで降りると言う。 今日は何でも聞いてやるという覚悟の下、高輪ゲートウェイ駅で降りてみるが、何にもないのですぐに引き返した。 みなとみらい線に乗るとも言ったが、それはさすがに時間がかかりすぎるので別の提案をしたら意外にすんなり自宅最寄り駅まで帰ってくることができた。 たぶん、満足したのだと思う。 息子といると、色んな気持ちになる。 言葉にならない可愛さから、言いようのない苛立ちまで。 合理的や生産的、とは真反対の子どもとの生活だが、息子は私のことがどうやら世界で一番大好きなようで、それはこれまで私の人生で初めての経験で誇り高い。 <YouTube> →キラキラネーム禁止の法改正!?現行(2023年)戸籍に読み仮名の登録はない - お字書き道TALKS #034 →名付け(命名)の裁判騒動!年間約4000人が改名!名づけの法改正案とは? - お字書き道TALKS #035 <note> ⇒平安時代よりもっとずっと前に九九は生まれた!【日本の数字の歴史】(その1) ⇒【日本の数字の歴史】江戸時代の数字(その2) あれから高熱が下がらなかった息子は大病院送りとなった。
地域医療というのは棲み分けと連携が上手くされていて、今回の場合で言えば、5日解熱しない場合は町医者から大きな病院へと紹介状が書かれることになっているらしい。 大病院送りにということは入院になるという可能性も秘めている。 偶然にも同い年のお友達が、息子がかかる病院に入院したと連絡をもらった。 「病状も落ち着いていて子どもが電話をしたいと言うので電話しても良いですか」と言われて小一時間電話でお話をした。 こちらとしても有難く、入院になった経緯や手続き、入院の状況なども聞くことができてとても助かった。 調子の悪い子を連れて、勝手の分からないことをするのは酷だ。 少しでも現場の情報が有難い。 大病院は息子を出産した病院でもあり、家から徒歩10分ほどの場所にある。 バスもタクシーも間合いが悪く、猛暑の中、猛熱の彼を抱っこして病院に向かう。 8時半の診察開始にめがけて、8:25頃に病院に到着。 妊娠出産時に足繫く通った場所なのでまったく勝手が分からないわけでもないが、息子を出産したのはコロナ前だったので、コロナ後の物々しさがプラスされた病院はやはり勝手が分からなかった。 発熱者は病院内には入れず、守衛さんに待合を案内された。 後に医療事務の方が来て受付をしてくれた。 そこから待つこと何と2時間。 大病院の待ち時間は妊娠時に経験済みではあるものの、5,6日も発熱が続いて弱っている子どもを待たせる時間ではない。 どうにかならんのか!!と思うけれど、予約もわんさか入っている小児科の飛び入りの外来(また救急ではない)は、きっとどこもそんなものなのかもしれないし、単純に運が悪かっただけなのかもしれない。 ようやく呼ばれて通された場所は懐かしい場所だった。 2時間待ったので、そこからはスムーズに診察が始まった。 風邪で小児科にかかる度、私は手書きの病状経過を簡単に書いていく。 その場で説明漏れがないようにしたいのと、たいてい息子が大泣きしていて話し声が聞き取れないからだ。 問診、各種ウイルス検査、血液検査、点滴、レントゲン、喀痰吸引、やることは事前に伺っていた。 血液検査以降は保護者は出てくださいと言われて個室から退散する。 もちろん狂ったように泣き喚きしがみつく息子を思い切り引き剝がして退室した。 こうなることもお友達のお母さんから伺っていたので、私は比較的落ち着いて対応できた気がする。 事前情報は心の準備の上で大切だ、しかし、3歳くらいの子どもに全く初めての体験の事前情報を入れるのは理解力も想像力も乏しいのであまり意味がない気がする。 当事者及び関係者は全力を出して、何とか頑張って息子の手の甲には点滴の針が刺さった。 痛々しいけれど仕方がない。 暴れまくって泣きじゃくって、私が次に部屋に入って抱っこするとじきに寝てしまった。 検査結果は、RSウイルス感染による軽い肺炎および中耳炎。 食べてない割には血糖値の値は悪くなく、炎症の値もそれほどではなく、何より酸素濃度は96なので問題ないとのこと。 入院も覚悟して来ていたがその必要はないとのことだった。 抗生物質等お薬を出すのできちんと服用して、また3日後に受診してくださいとのこと。 妊娠出産時にはそう感じなかったのだが、医療スタッフの皆さんがとても優しくて子ども想いで、私は感動していた。 息子の恐怖に寄り添い、為すべきことを迅速に為し、相当な暴れっぷりを見せたにも関わらず、「とても上手だったよ」と本心かのように言ってくださった。 小児科のスタッフに限らず、レントゲン技師の皆さんも、会計等医療事務スタッフも素晴らしかった。 待ち時間以外は。 それに、これだけフルコースの検査と薬をもらってお会計は0円。 我々自分たちの税金から出ているとは言え、本当に有難く思う。 まあ息子にとってみれば初めての監禁拷問のようなもので、トラウマになってしまったらしく、のち夜就寝後に「やだやだやだやだ」と寝ぼけながら暴れる日々なのだが。 再受診を終えて、登園許可書も書いてもらった。 これは2200円の文書料が取られたけれども。 長らく続いた息子の体調不良は一旦これで締めにしたい。 あと数日間、抗生物質を蜂蜜で練り、アイスクリームと一緒に食べさせ切ったら、もう本当にぴっかーんと元気になってほしい。 君の元気はみんなの宝物。 息子の体調不良時は、可能なときは、私は一緒に寝ながらスマホとワイヤレスイヤホンで映画かドラマを観ている。 フォレストガンプ、最高に良い映画だった。 東京ラブストーリー 花束みたいな恋をした フォレストガンプ 水曜日が消えた キングダム1,2 3度目の殺人 39 刑法第39条 キャストアウェイ それでも夜は明ける コーダあいのうた ドクターデスの遺産 <YouTube> キラキラネーム禁止の法改正!?現行(2023年)戸籍に読み仮名の登録はない - お字書き道TALKS #034 <note> ⇒日本人が作った漢字!というか国字! ⇒平安時代よりもっとずっと前に九九は生まれた!【日本の数字の歴史】(その1) 父の十七回忌。
58歳で他界した父は生きていれば74歳くらいになる。 久しぶりに見た遺影は相変わらず58歳の父であり、しかし皆の年老い方や子どもらの成長を見れば月日の重さを感じられる。 あの頃は父の両親、つまり私の祖父母も生きていた。 祖父母からすれば自分の息子の法事はかえって辛い事実のだったので、祖父母も他界した十七回忌の今回は、幼子の無邪気も手伝って明るい雰囲気で執り行われた。 親戚のおばさんも、父のいとこのおじさんも、それぞれに数年前に大病を患いながらも元気だった。 それは良いのだが、息子がまたまたまたまた風邪をひいた。 5月頃から何度目だろうか。 免疫が弱っているうちに次々次々と違う風邪にかかっているようだ。 幼いうちにひくべき風邪をひいておいた方が良い、という考え方もあるが、なかなかどうしてこうも長引くとこの子の身体は大丈夫だろうかと心配にもなってくる。 全く食べられないとか寝られないとかぐったりしているとか、そういうわけではないから、小児科で処方された対症療法の薬を飲ませて休ませるしか方法がないけれど。 元々瘦せ型の彼は、この2,3か月で体重が減ってしまっている。 1歳8か月の超大食いの姪のズボンを、3歳11か月の息子に履かせるとすんなり履けるという驚愕。 あの食べっぷりを半分分けてはもらえないか。 むちむちぽってりどすどすと歩く姪は、毎食ごとに「よく食べるねえ~~」と皆に言われ、一方で息子は「食べない」「いらない」を連発し「枝みたいだねぇ」と皆に言われた。 両方呆れるほどだが、幼子の食べ過ぎは褒められ対象でも、食べなさすぎは呆れられるだけである。 さて、早く良くなってほしい。 何でも良いから食べてほしい。 仕事に差し障ると、次第にこちらの精神衛生も蝕まれる。 がんばれ息子の免疫。 <YouTube> 【書道家・くろのぺん】石に絵を描いて生計を立てた男 - お字書き道TALKS #033 <note> 日本人が作った漢字!というか国字! 書道の流行と丸文字と日本語ラップと あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン かけましょ かばんを かあさんの あとから ゆこゆこ かねがなる ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン あらあら あのこは ずぶぬれだ やなぎの ねかたで ないている ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン かあさん ぼくのを かしましょか きみきみ このかさ さしたまえ ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン ぼくなら いいんだ かあさんの おおきな じゃのめに はいってく ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン という北原白秋の「あめふり」の詩を、久しぶりの展示会への出品作として書いた。 普段の作品は、写真を撮ってアプリで画像に額装を施すが、実際の展示となると、当たり前だが表具の必要が出てくる。 三鷹にある山口文林堂さんにお願いし、軸に仕立てていただいた。 山口文林堂さんにはこれまでにも何度か表具をお願いしている。 私のように一匹狼のように活動する書家は横のつながりが希薄になりがちなので、時折自ら関係性を作りに、リアルな飲み会などに参加したりする。 年初の飲み会で偶然山口文林堂さんの社長さんもいらしていて、私の存在を覚えていただけていた。 私には顔の利く師匠もいないので、色々と相談に乗ってくれる腕のある表具屋さんとのつながりは本当にありがたい。 本当はパネル張りと言って、木の板に直接張り込む方法のものにしたかったが、展示場所である京都への送料や会期後の保管場所を考えるとやはりコンパクトに巻ける軸が良い。 軸の布もあれやこれや種類を見せてもらって、イメージと値段と、紙質布質などを鑑みながら、シンプルなごく淡い水色の生地にした。 出品作はInstagramでご覧いただけます。 6月開催のため、雨にまつわるお題。 昔は子どもがいるからと言って創作物に子どもネタを持ち込むのはいかがなものかと思っていた節があったのだが、実際に子どもを持ってみると、どうにも子ども中心というか、それに支配された生活しか送ることができない。 ならば、と子どもの発する言葉などを日記的に作品にしてしまおうと、ここ数年は色々と書いてきた。 数年前に個人的に行った「狼煙展」というWeb個展では、「私はシンガーソングライターになりたい」というコンセプトを掲げて、自分で紡いだ言葉のみを書いていた。 あれから時が経ち、書道とは何かに思い耽るうちに、自分の言葉を書く必要もない気がしてきた。 書家は書家、詩人は詩人。 どの立場を取っても、何をミックスしても良いのだが、その道一本で行くプロフェッショナルにはやはりかなうはずもない。 本当に大きく1周まわって、著作権の切れた名文を書こう、と思い立ってすぐに「ピッチピッチチャップチャップランランラン」だと思いついた。 雨降りの日に、抱っこしてという息子を抱いてよく歌っている。 せっかく書くなら詩への実感があった方が良い。 5番まであることを今回初めて知ったが、4番の「きみきみこのかささしたまえ」というのは幼子のセリフとすると随分大人びている。 昭和初期くらいには「~~したまえ」という言葉を小学校低学年くらいの子が使っていたということか。 それはともかく、久しぶりにまともな日本語文を書にしてみると、やっぱり楽しかった。 そして、自分の書風というものは、ある程度、一旦は、納得がいっていたので本当にすんなり書けた。 いつもは山ほど書くのに、3テイクほどでできてしまった。 ついでに、傘に入った親子の絵も入れてみた。 何度も試行錯誤を行ってきた結果の、背伸びのない書き方ができた気がする。 私にとって新しくはない。 しかし良くも悪くも、等身大の何でもない自分の書である気がする。 道はずっと続くので、そういう書が書けたからと言って安泰なわけでは毛頭ない。 しかし、私の書歴に残せる、ひとつ杭を打てるような作品ではないかと思う。 そんな作品のInstagramのいいねの数は過去最多だった。 いいねの数に振り回されるほどのフォロワー数ではないのでさほど気にしていないのだが、世間的にも少しは良い作品だったのではないだろうか。 <YouTube> お部屋のイメージチェンジ。インテリアの壁紙やカーテンを変えるように、書作品を飾ってみよう - お字書き道TALKS #032 <note> 明治の三筆の作品は数万円で手に入る!?【その3:巌谷一六】 息子の体調がくすぶり続けていて、悪化させるのも怖く幼稚園を休ませたりするのだが、そうなるとなかなか思うようにいかない。
熱はないのだが、しつこい咳が続いている。 仕事×子ども、創作×子ども、というのは実に、実に相性が悪い。 まとめると、(個人的な)集中×子ども、ということか。 ねっとりと私にくっついていないと気が済まない息子は何をやっていてもそこにいる。 文字の読める息子は、パソコンやスマホで何か打とうものなら瞬時に駅名を連呼してそれを打って表示しろと言う。 今も、石神井公園だの小竹向原だの五反田だの青山一丁目だのを打ちながらこれを書いていたりする。 別にブログなど書かなくても良いのだが、何となく何かを更新しておかないとという気持ちになる。 と言うよりは、子どもと二人(今日は夫は別部屋でリモートワーク中)の極めて閉鎖的空間から社会の窓へ顔を出して呼吸をするという感じだろうか。 何か意味のあることをしたくて、いつも洗濯物を乾かしているサーキュレーターの埃の掃除をする。 べたべたとした誇りをわんさか取り除いていると、もちろん息子もやってきて同じことをする。 埃をあんまり吸わないように気を付けてねと言っても無駄なので、濡らした雑巾で埃を抑えながら粗方きれいにする。 サーキュレーターのスイッチを再びオンにすると、「サーー」といつもと違う軽快な音になった。 こんなにも埃が溜まるのを疎ましく思う一方で、このサーキュレーターは空気を攪拌するだけでなく、空気清浄の役目も買って出ているのではと思い直す。 ついに息子に抗生物質が処方されて、ピンクの粉を朝晩飲ませねばならない。 抗生剤はいちご風味になっているがまずいらしく、超々偏食の息子がこんなものを飲んでくれるはずがないと絶望していたのだが、変な顔をしながらも頑張って飲んでくれた。 とてもとても意外なことだった。 続けて飲んでくれると良いのだが。 <note> ⇒書道の猛者!【明治の三筆】専業書道家が生まれる【その1:日下部鳴鶴】 ⇒天皇の目にも留まる、華々しき書道人生。明治の三筆!【その2:中林梧竹】 ⇒明治の三筆の作品は数万円で手に入る!?【その3:巌谷一六】 <YouTube> 洋風インテリアに合う書道作品を、自宅リビングに飾ってみよう - お字書き道TALKS #031 月曜の午前中は息子の療育に出かける。
乗り換え2回、1回は地上に出て乗り換えをする。 直線距離はさして遠くもないのにああだこうだ蛇行しながら歩くので、小一時間かかる。 9時に家を出発、10時〜11時で療育、12時に幼稚園に着く。 たくさんの時間が取られることに、時々、悶々とする。 悶々としないこともあるので、それは雨だからかもしれないし、ホルモンバランスの影響かもしれないし、仕事が溜まっているからなのかもしれない。 AIチャットが大隆盛の昨今であるが、AIの回答というのは実はあまりそのアルゴリズムがよくわかっていないらしい。 そこが人間と似ているらしく、人間の脳もまさにアルゴリズム的に動いている。 外的内的な複合的電気信号によって私たちは思考したり身体を動かしたりする。 私たちが“自分の考え”などと思っているものは、実は自分の考えなどではなくただの身体の反射に過ぎないのかもしれない。 “ワタシ”は“ワタシ”を観察することしか出来ない。 このふたつの“ワタシ”は、AがBを観察する、ことが出来ているわけなので別物だ。 では一体、“ワタシ”とは何なのか。 というインド哲学があったと思うが、AIが盛り上がりを耳にする度にこのことをなんとなく思い出す。 そこで良く言われるのがAIに“キモチ”や“カンジョウ”はないということだが、人間の“キモチ”や“カンジョウ”も単なる個々のアルゴリズム的反応に過ぎないのではないか。 “ワタシのことはワタシにしか分からないわ!” “ワタシはジブンが考えていることがよく分からない” ワタシはいつも、唯一ワタシから離れられないから、ワタシはワタシと仲良くした方が良い。 さて。 息子の体調不良で休んでしまったかな書道のレッスンへ行く。 「かな」とは平安期スタイルのうにゃうにゃっとした流麗な平仮名のこと。 実際のところ家でかなを練習することは殆どないのだが、ちょっと上達した気がする。 それは他のものを書くことで同時に引き上がる技術があるからだと思う。 かなを書いていると、本当に言葉の意味がどうでも良いことを思い知らされる。 かなは、変体仮名という現代では使わない平仮名を使うこと、そして読みやすさよりも景色が最優先である。 いかに紙面を文字で飾るか、それが最も肝要。 このことは、私の最近の方向性とマッチしていて、書いていて、そして教わっていて違和感がない。 書道は文字を書くから、言葉の芸術と言わんとする傾向があると思うが、それは本質では無いと考える。 極端に言えば、書く文字、書く言葉、なんてどうでも良いのである。 書家の本質はただの字食い、そういうことだ。 そうでなければ、実は少なくない現在の日本の書道人口が、こぞって漢詩を書くことに執心する理由がない。 その殆どは中国語を話せないどころか、漢詩の書き下し文でさえ危うい人たちなのだから。 ただ、元より意味のある漢字や言葉を成すひらがなを使うので、共通理解のある言葉の意味や詩的なことを含ませやすい媒体であるとは思う。 そして、意味のある漢字や言葉を成すひらがなを書くから、書き手の書家もそれに引っ張られてしまいがちでもある。 書道とは何なのか、書道には何が出来るのか。 絵画にできない、書道にしか出来ないことは何だろうか。 と最近は日々考えている。 あとは、物見遊山な気分で裁判傍聴へ行くなど。 これで4回目だろうか。 殺人、詐欺、窃盗など見てきたが、今回は合成麻薬を輸入した麻薬取締法違反。 アメリカ人の被告人で通訳が付く裁判だった。 素人の傍目からの毎度の感想は、こんなに早く判決になっていくのか、ということ。 世間的に取り沙汰される事件は大きなものであれこれ根掘り葉掘りマスコミがついたりするし、ドラマなどであれば“真実”を追い求めて奔走するものだ。 しかし実際には、結構あっさり、色々なことは取り残したまま、決まっていくものなのかもしれない。 〈YouTube〉 ⇒パン、カッパ、キャプテンはポルトガル語由来【半濁点の歴史】 - お字書き道TALKS #029 ⇒ラ゜は【L】半濁点で英語発音マスター!明治時代の日本人はすごかった。 - お字書き道TALKS #030 〈note〉 ⇒書道の猛者!【明治の三筆】専業書道家が生まれる【その1・日下部鳴鶴】 ⇒天皇の目にも留まる、華々しき書道人生。明治の三筆!【その2:中林梧竹】 息子の熱発から、お字書き道TALKSの書道家インタビューの収録、来月の展覧会の仕立て、いけばなとのコラボワークショップ、7月の息子の誕生日の家族写真の打ち合わせ等々、駆け回る日々である。
どれも楽しいのだけれど、どれもちょっと大変で。 何かモノにしよう、何かカタチにしようと思うときは、やっぱりちょっと苦労が伴うものだ。 息子の体調は思ったよりも長く燻って、ようやく全快に向けてあと少しと言ったところだろう。 あまり食べない、よく寝る、ということはきっと回復に努めている証だろうと思う。 普段から乏しい食欲も少しずつ彼なりの通常に戻ってきている感じだ。 4月からの新しい生活に、私たちは身体ごと全力で立ち向かって、その皺やヨレを5月にどっしりと感じながら、安定の6月が過ごせるだろうか。 ところで、息子は7月に4歳になる。 1歳の誕生日から、テーマを決めてコスプレをして家族写真を撮っている。 無論この企画をしているのは私で、夫と息子は私に付き合わされている形だ。 1歳は貴族風。 私は貴族風のドレスを着てティアラを付け、夫は燕尾服のような正装を、息子もタキシード風のベビー服を着せた。 写真スタジオにて。 2歳は浴衣。 私は実家に眠る浴衣を送ってもらい、夫は楽天で3000円くらいの浴衣を買い、息子はけいこの手作り浴衣を着た。 写真スタジオにて。 3歳はお受験風。 私は白襟のついた黒のワンピースに眼鏡、夫は普通のスーツ、息子は蝶ネクタイのついたタキシード風子供服。 神楽坂の古民家の貸しスペースにて。 3歳の撮影が終わってから、4歳はどうしようとずっと薄く考え続けてきた。 私はアオザイやサリーなどの民族衣装が着たいという願望があるのだが、そうなると夫の着るものがとても困る。 本格的な男性民族衣装は手に入れるのも難しく、またそれを着ると何だか遊びでないような印象さえ醸してしまう気がする。 ましてや夫はオマーン人のような中東っぽい顔つきをしているので、現地感をさらに煽ってしまう。 私はこの家族写真を強くお笑い方向に持っていきたいわけではない。 素人が頑張って、何とか自分たちなりの”絵にしたい”というのが目標だ。 最も重要なのは、主催の「私が着たい服を着る」ではあるのだが、やはり全体の絵が良くなければならない。 シャネルなどのハイブランドの服をレンタルで着てみたいという願望もあったのだが、1日1着借りるだけでも10万円を超えてしまう。 あれやこれや、構想10か月ほど、コンスタントに考え続けてきた。 そんなこんなで決まった今年のテーマは「マリメッコ」。 北欧フィンランドを代表するプリントテキスタイルメーカーの最もシンボリックな花柄を家族で着よう。 いつも、私の教室の生徒さんのカメラマンさんに撮影をお願いしているのだが、奇しくも彼女の前職のデザイナーさんが会社を辞めたとのことで、その方に洋服をオーダーメイドできることになった。 デザインの打ち合わせや採寸のために、カメラマンさんと一緒に家にお招きし、いつもの唐揚げとビールなどでおもてなしをしながら、ぴーちくぱーちくきゃんきゃんわーわーと打ち合わせをした。 マリメッコの布は高価なので、誰のどの部分に使うか、誰がどの色にするのか、丈感はどのくらいか、実際に何メートル買えばよいかなどなどを話し合う。 プロのカメラマンさんの意見、プロのデザイナーさんの意見というのは本当に納得感がある。 どの分野でも、やっぱりプロに聞くのが良い。 自転車操業の企画、来年はどうしようか。 今から悩み始めている。 <YouTube> 書道展覧会の鬼【書道家・伊藤牙城】傾向と対策でタイトルを手に入れろ! - お字書き道TALKS #028 <note> 世界を変えるかChatGPT!AIチャットは頑なに文字の画像を出してくれない2023年5月30日 比較的順調な息子の転園から、ふた月が経とうとしているこの頃。
突然息子が夜中に熱発した。 皆それぞれに端末を持って寝室に入り、寝っ転がって楽しんでいた。 私がトイレに行こうとするといつもより過剰に泣きながら追いかけてきた。 あらあら、と思って手を握って一緒に寝室に戻ろうとしたところ、その手がやけに熱い。 まるで寝耳に水のような発熱だったので私は驚いた。 布団の上で、身体や頭などいろいろなところを触って熱さを確かめるが、どうにもこうにも熱い。 しかし彼は思いの外すぐに寝入った。 数十分後、熱にうかされた彼は「こわいこわい」と言って泣きながら喚いた。 子どもの体調不良は、こちらがドキドキする。 痛みがあるのか、いつもと比べてどのくらい変なのか、どこが一番辛いのか、まだまだ全くきちんと話せない。 それどころか「痛い」というのを「こわい」と言うし、「怠い」というのも「こわい」と言う。 このときは計らなかったがおそらく40度を超えていたのではなかろうか。 こわいこわいと泣き喚くのをさすったり声をかけたりしながら、夫に子どもの救急相談窓口に電話をかけてもらうか考えていた。 20分ほど様子を見ていると、疲れてまた寝ていった。 彼が寝付いたらネットで症状を検索してみる。 「熱せん妄」という言葉があるらしく、悪夢を見ているような状態で、高熱時にはうわ言を言うことはままあることらしい。 まあでも脳が変になっているということでもなさそうだ。 そんなことを3,4回繰り返して夜が明けた。 保冷剤を持ってきて首や鼠径部などに少し当てると、彼は微妙な反応をして「やめる」と言ったのでやめた。 かかりつけの病院に電話をし事情を話して、受診。 今までは発熱患者は隔離されて防護服を着た先生や看護師さんがスタンバイしていたが、今日は普通の診察だった。 ウイルス性の風邪でしょうとのこと。 コロナが世の中から消えたわけではないけれど、コロナへの意識はどんどん薄れていくのだろう。 食欲はいつもの半分くらいで、ラーメンを半玉食べて、午後は布団の上でごろごろと過ごす。 熱はまだ下がらない。 寝るときに熱が続くようなら下剤を使おう。 switchでカービィのゲームができるほどには元気だ。 文字がかなり読めるようになってきた彼は、「なんで?なんで?」と言う代わりに「これはなんて書いてある?」と聞きまくってくる。 「ご注意ください」「お知らせ」「お願い」など、駅名以外の漢字もそこそこ読める。 動詞の活用は間違いがち。 <note> 現役書道家プロファイルVol.2【伊藤牙城】 <YouTube> ⇒濁点は梵語(お経)を正しく発音するため生まれた。かも。【濁点の歴史1】 - お字書き道TALKS #026 ⇒天皇は「人間宣言」から濁点を使うようになった【濁点の歴史】 - お字書き道TALKS #027 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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